ダイバーシティの力海外ベストセラーに学ぶ、もう1つのビジネス視点(2/3 ページ)

» 2010年12月15日 14時35分 公開
[ITmedia]

マクドナルドがどのようにダイバーシティに取り組んだのか?

 『1955年、レイ・クロックは、マクドナルド兄弟が所有していたハンバーガーレストランを基に、マクドナルドを創立しました。その時、クロックはマクドナルドを「3本脚のスツール」のように見立てました。企業、サプライヤー、そしてフランチャイズ加盟店の3本の脚です。もし1本でも脚が折れてしまえば、スツールは倒れてしまうと考えました』

ミルクシェイクのミキサーの営業担当者であったレイ・クロックは、マクドナルド兄弟の経営する食堂が、回転が速く、大量の客を次々とさばいているのに感銘を受けました。クロックは、マクドナルドのシステムをフランチャーイズ化して販売することを考えます。兄弟を説得し、多額の契約金を払って、クロックは夢の一歩を踏み出しました。

 『クロックは、はじめはダイバーシティの必要性を理解していませんでしたが、ほかの企業より多くのハンバーガーを売るためには、マクドナルドを可能な限りダイバーシティに富んだ企業にする必要があることに徐々に気付きます。特に、店舗をいくつか出店する予定のマイノリティーな地域に従業員を適合させる必要がありました。クロックは一度その必要性を確信すると、トレーニングと教育の担当者にクロックのダイバーシティ化をサポートさせました。マクドナルドの管理職者全員に、このダイバーシティ化のキャンペーンに協力させ、さまざまな経歴を持った人間で構成された従業員を指揮する方法を確実に理解させました。こうして、マクドナルドはダイバーシティの導き手となったのです』

 クロックは、マクドナルドをフランチャーイズ店として成長させるためには、ダイバーシティに富んだ企業にする必要があると考えました。マイノリティーの地域をはじめ、さまざまな場所の、さまざまな経歴の従業員を、マクドナルドの構成員として指揮するプログラムを確立し、行き渡らせたのです。

 『マクドナルドは現在“少数民族出身者および女性のオーナー/オペレーターのネットワーク”が作ったキャリア育成モデルを使い、アフリカ系米国人、ヒスパニック、アジア人、ゲイ、レズビアン、若者、そして働く母親のための従業員ネットワークを有しています。しかし、これは簡単に、あるいはすぐに成功したわけではありません。マクドナルドが創立10周年を迎えた1965年、738件の店舗を有していましたが、従業員はすべて男性でした。規則として働くことが許されていたのは「(フランチャーイズの)オーナーの妻あるいは娘」だけでした。

 なぜなら、クロックは仕事中に従業員同士が戯れる懸念を払しょくするために、男性しか雇わなかったからです。このクロックのポリシーは1960年代当時では珍しくありませんでした。ダイバーシティはまだ「異質なコンセプト」だったのです。アフリカ系米国人として初めてマクドナルドのフィールド・コンサルタントとなったローランド・ジョーンズは、フランチャーイズ主宰者の事業運営に対しアドバイスを与える自分の職務についての著書を後に発表し、その著書『Standing Up & Standing Out』の中でクロックのことを、当初、人種差別や性差別などの偏見が持つ幅広い社会的問題に対し無頓着であると表現しています』

 現在のマクドナルドは、あらゆる人種、性別、属性を問わず、実に多様な従業員によって構成されています。しかし、これは簡単に成し遂げられたことではありません。スタート当初の社会では、まだ異質なコンセプトだったのです。

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