企業が変革していく鼓動を感じ続けたい――GABAの上山社長石黒不二代の「ビジネス革新のヒントをつかめ」(2/4 ページ)

» 2011年02月07日 08時00分 公開
[石黒不二代(ネットイヤーグループ),ITmedia]

 経営方針での問題点も同じところにありました。店舗ではなく本社主導だったのです。本社は1階から9階までの一棟を借り、フロアの壁が部門の壁となり、上山さん自身、最初は、顔と名前を覚えることが仕事になりました。驚いたことに、上山さんだけでなく、衣料品のバイヤーと肉のバイヤーは、顔は知っているが名前を知らないという状況でした。25年から30年間勤めている人たちがお互いの名前を知らないのです。長崎屋の売りは、「総合スーパー」、しかし、部門間の横断意識がない。なぜ名前を知らないのか?

 橋本会長と相談して、千葉の店舗の4階に本社を移転、450坪のフロアに350人を強引に押し込みました。日本橋に本社があったころは、2億7000万円払っていたフロア代は0になったばかりでなく、衣料品の隣に肉のバイヤーが座ることになり、嫌でもお互いの名前のみならず、仕事の内容が分かります。

 店舗の施策で良いところをお互い取り入れ、悪い習慣をやめさせる。毎朝のネットワーク朝礼では、ワースト店の店長から発表を行います。会長が参加すると、「ばかやろー」の罵声も飛びますが、基本的には、上山さん自身がファシリテーターとなり、毎朝の朝礼を2年間続けました。前日予算比ワーストのチーフバイヤーと店長からの発表では、「今日はこういうことをやらない。でもそのかわりこれをやる」を続けていきました。

 長崎屋は、一世を風靡(ふうび)したダイエーよりも上場が早かった総合スーパーでした。当時の中心の店長は、入社したときから上場企業に入ってきた人たちでした。そういう意味では、社会人としては優れているけど、商売人としての貪欲さがなかったと上山さんは言います。自分より年配である店長たちに意地でも長崎屋を再建しようと訴えました。小売りの経験もない若造が社長につき、サーベラスとも橋本さんとも違う上山さんを見せつけることから仕事を始めました。改装した店があれば朝早く売り場に出て、一日中店舗に立ちました。以前は、本社から応援に人が来ても夕方には引き上げていたのが、今回は違う、上山さんを受け入れると同時に、現場が変わっていきました。

 わたしが経営しているネットイヤーグループも11期目を迎えています。こんな若い企業でさえ、規模が大きくなると変わっていくのを感じているので、企業は文化であるとの想いを改めて認識しています。上山さんが行ったのは、まさに、体質を変える。文化を変える作業だったのだと思います。

 総合スーパーは、一時は、流通革命の旗手と呼ばれていました。その時入社した団塊の世代にとっては、高度成長とともに拡大し、我が世の春だったといいます。やがて、時代は移り、倒産した後でさえ、バイヤー中心で、顧客接点の中心である店舗主義ではなかったのです。上山さんは、社員の心構えを変えていきます。胸につけるバッジには最高の笑顔の写真とお客さまが読みやすい大きなひらがなで名前を載せました。お客様にもお取引先にもそんなことをしたら、とても、偉ぶれない、現場は変わってきました。

 そして、キョウデンが40億を出資した長崎屋は優良企業になり、133億円でドン・キホーテに売却され、上山さんの役目は終わりました。

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