九電の「やらせメール」が教えてくれたこと『坂の上の雲』から学ぶビジネスの要諦(3/3 ページ)

» 2011年08月01日 07時00分 公開
[古川裕倫,ITmedia]
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正岡子規の失敗のデータ化と山本権兵衛のかきガラ落とし

 さて、「坂の上の雲」。子規は病身をおして、自身の生涯志である「俳句復興」に尽くす。

「良句もできるが、駄句もできる。しかしできた駄句は捨てずに書きとめておかなければならない。(中略)自分の作った句を粗末にしてかきとめておかぬひとはとてものこと、一流の作者にはなれない」

(『坂の上の雲』司馬遼太郎、文春文庫)


 先に述べた不成約報告書と同じことである。

 今回は、九電にとっても高い授業料となったであろうが、トップのクビだけを代えるのではなく、これを機会に企業体質を変えてもらいたいものである。

 「坂の上の雲」には、明治に活躍した立派な九州人がたくさん登場する。日露戦争の可能性が高まってきた時に、危機感を持った山本権兵衛は時の海軍大臣西郷従道に海軍の古い人身の一新を提案した。維新や明治初期の過去の功労者を引退させ、近代兵法や技術に明るく行動力の高い若手の登用をすべきと西郷に訴えた。西郷はこう答えた。

「(過去の功労者に)恨まれますぞ」

「むろんかれらは恨むでしょう。しかし、国家がつぶれてしまえば、なにもかもしまいです」

西郷は、ゆるした。

権兵衛は、この首切りしごとを西郷には押しつけず、みずからやった」

(『坂の上の雲』司馬遼太郎、文春文庫)


 長く航海していると船底にかきガラ(フジツボ)が付いてしまう。そのかきガラ落しをしなければ先へは進めないと、山本が直言したのである。

 世の中の変化に会社もついていかなければならない。会社において、人が変わらなければ、人を代えるしかない。そういう教えである。

著者プロフィール

古川裕倫

株式会社多久案代表、日本駐車場開発株式会社 社外取締役

1954年生まれ。早稲田大学商学部卒業。1977年三井物産入社(エネルギー本部、情報産業本部、業務本部投資総括室)。その間、ロサンゼルス、ニューヨークで通算10年間勤務。2000年株式会社ホリプロ入社、取締役執

行役員。2007年株式会社リンクステーション副社長。「先人・先輩の教えを後世に順送りする」ことを信条とし、無料勉強会「世田谷ビジネス塾」を開催している。書著に「他社から引き抜かれる社員になれ」(ファーストプレス)、「バカ上司その傾向と対策」(集英社新書)、「女性が職場で損する理由」(扶桑社新書)、

「仕事の大切なことは『坂の上の雲』が教えてくれた」(三笠書房)、「あたりまえだけどなかなかできない

51歳からのルール」(明日香出版)、「課長のノート」(かんき出版)、他多数。古川ひろのりの公式ウエブサイト。


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