品質にこだわり、指名してもらえる商品を――博水社 田中社長石黒不二代の「ビジネス革新のヒントをつかめ」(1/2 ページ)

脇役から主役の座へ。アルコールをおいしく飲むために開発された製品が、単独で飲まれるようになった。ビジネス開発の肝は消費者、取引先のさまざまな声を共有し商品開発に生かす。

» 2012年09月07日 08時00分 公開
[石黒不二代(ネットイヤーグループ),ITmedia]

 テレビCM「わるならハイサワー」で有名なハイサワーやハイッピーなど時代の飲料水を開発し続ける博水社。従業員22人の会社で、これまでのインタビューとは一味違った趣と思いきや、売上げ14億と聞けばこんな優良企業がどうして出来上がっていったのか、3代目女社長の敏腕経営を探ります。

博水社 田中社長

 創業は祖父の時代。戦前は街のジュース屋さんでした。戦後は甘いものが少なく博水社の「みかん水」は飛ぶように売れました。その利益で工場をたて、「ラムネ」や「サイダー」の製造に進出。まだ、外資の飲料メーカーが日本市場に魅力など感じていなかった時代の話です。当時は、日本中にラムネを製造しているメーカーは数百件あったそうです。博水社は、そのメーカーのひとつで、小さな商圏ながらも順調に成長していました。

 しかし、主力商品であったラムネの需要にもかげりが出ます。原因は、米国の世界一の飲料メーカーであるコカコーラの日本進出です。続いて、ペプシコーラ。やがて、大手ビールメーカーがホールディング化したのを契機に、清涼飲料部門が立ち上がりました。大手メーカーの本格的市場参入が始まり、資本力を生かし前年比700%ととどまるところをしりません。

 販売ルートもチャネルも駄菓子屋さんから自動販売機に変わっていきます。これだけ、産業の競争状態や販路が変わっていけば、多くの中小企業を抱えていた分散型市場はひとたまりもありません。東京だけで230件以上あったラムネ工場が次々と廃業に追いやられ、瞬く間に寡占市場が形成されていきます。

 現社長の父である2代目社長の悩みは大手ライバルの進出だけにとどまりませんでした。ラムネもジュースも夏の商品。冬になると工場も従業員も時間をもてあましてしまいます。この季節がもたらす需要の波をなんとかできないものだろうか? 年間を通して変動が少なく需要があるのは、清涼飲料よりアルコール飲料、しかし、酒類免許を持っていなかった博水社はアルコールを製造できません。そこで挑戦したのが、ノンアルコールビール。6年ほど試作し、いよいよ発売することを決めた矢先に使用する予定だった主要原料の製造メーカーが廃業し、頓挫しました。

 追い込まれた2代目社長はだまって廃業を待つのではなく、再度新しい製品を作ろうと前向きに取り組みました。そして誕生したのがハイサワーです。当時、焼酎は低所得の人が体を温めて酔っ払うというポジショニング(すごいポジショニングですね)でした。2代目社長は、この焼酎をなんとかおいしく飲めないかと考え、焼酎を割るための「割り飲料」をレモンや炭酸などをブレンドして作ったのです。

 「我輩が作ったサワ―」という意味で、「輩(ハイ)サワー」と名付けました。その頃はまだ流通網がないため、従業員がケースを担いで一件、一件居酒屋に営業に。お酒好きな常連さんたちは焼酎をハイサワーで割った「レモンサワー」という新しい飲み物に興味津々でした。ポスターを置かせてもらったりしながら、目黒の小さなコミュニティーから口コミが発生しました。

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