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今までの「日本」の話をしよう――震災後を生き延びるための仕事哲学ビジネス著者が語る、リーダーの仕事術(1/2 ページ)

すべての幸福な企業は互いに似ている。不幸な企業はそれぞれの仕方で不幸である。必要なことは似ている「幸福」を知ることでなく、それぞれの不幸のパターンをできうる限り知っておくこと。

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人は過去から学ばない


「マッチポンプ売りの少女」

 「人は過去から学ばない」というのがわたしの座右の銘ですが、もしかすると「日本人は過去から学ばない」なのかもしれません。そういう意味では「戦後」も「震災後」も何にも変わっていません。

 その顕著な例が震災直後の外資系の行動と日本系企業の行動の差でしょう。外資系企業が原発のニュースに接するやいなや、直ちに帰国または関西、九州への本部機能の移転を実行した一方、東京に本社を置くほとんど日系企業はそういった事をしませんでした。

 外資系の企業には震災や有事の際のマニュアルがあり(特に東京は地震が多いのだから、そういったものを想定することは彼らとしては当たり前なのかもしれません)、他方、誰よりも地震とのつきあいが長いはずの日系企業は、どうやらほとんどそういった事を想定していなかったようです。

 これはなぜなのか? わたし自身が思うに、「戦後」の教育において良い過去も悪い過去も一緒くたに捨てられてしまったからなのではないかと。今回津波の被害を被った街の丘の上には「想へ惨禍の大津浪、此処より下に 家を建てるな。」という津波の記念碑があったという逸話があります。この石碑は1896年に建てられたモノだったそうですが、その言い伝えを残念ながら100年後の我々は聞き取ることができませんでした。

 同様に東京が帝都と呼ばれていた戦時中、米国から無差別爆撃(国際法違反)で、工場を東京から移転した企業は多数あったはずなのに、その教訓も上手く生かすことはできませんでした。

 拙書「マッチポンプ売りの少女」第10話で「インゴッドは死んだ」では戦後すぐの1947年に日本で起こった「預金封鎖」について書いていますが、ほんの60年前に起こった大事件をわたし自身も周りの人間も知らないことに驚きを隠せませんでした。

 手元にある紙幣は2週間後に使えなくなり、交換しに行くと強制的に銀行口座に貯金させられ、口座から引き出せるお金は雀の涙、その間にインフレは進行し、価値がどんどん失われていった時代があったことを、ほとんどの日本人は覚えてないのです。

 ですから、今後日本で似たような事が起こっても、また同じように一般の企業や個人は大損し、国だけが丸儲けするでしょう。そうならないためにどうすべきか、わたしは過去を学ぶ、特に失敗を学ぶことではないかと考えています。

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