『ゆみに町ガイドブック』著者 西崎憲さん:話題の著者に聞いた“ベストセラーの原点”(1/3 ページ)
“ディスティニーランド”のような空想的な世界でも、その中で起こっていることは現実的にそこの風景や事象を、写真を撮るように記録した。
今回は、昨年11月に新刊『ゆみに町ガイドブック』を刊行した西崎憲さんです。西崎さんは日本ファンタジーノベル大賞でデビューして以降、精力的に小説作品を創り続けている作家であると同時に、ヴァージニア・ウルフやへミングウェイの翻訳でも知られています。
『ゆみに町ガイドブック』は架空の町「ゆみに町」を舞台に、リアリスティックな世界とファンタスティックな世界が入り混じり、読者に独特の浮遊感を与える長編。今回はこの作品の成り立ちを伺ってきました。
ゆみに町で書いた世界は10も20もあるうちの3つ
――まず、本作『ゆみに町ガイドブック』に関して、書き始める際にどんな作品にしたいと思っていましたか?
西崎さん(以下敬称略):「この作品はリアルな世界やファンタスティックな世界を含めた3つの世界で構成されているのですが、当初はリアルな世界の部分しかなかったんですよ。“ゆみに町”に住んでいる書き手の“私”がいて、“プーさん”や“ディスティニーランド”は彼女の空想のなかのお話だったんです。それで、“私”の記述が原稿用紙100枚くらいになって、河出書房新社の編集者の伊藤さんと「本として出しましょうか」という話になった時、長編化した方がいいんじゃないか、となったんです。
長編化にはいろいろな方法があって、そのまま普通のリアリズムの小説にしていく手もあったんですけど、考えているうちにひとりでに空想的な部分が膨らんでいったというか、自然にそうなっていきました」
――今おっしゃったように、「ゆみに町」の複数の世界が描かれていて、読んだ人がそれぞれ全く異なった印象を持つような作品になっていますね。
西崎:「それはある意味で意図的なものですね。単一な印象が生まれないように、注意深く書いているところがあります。ただ、それをすることで散漫にもなりかねないので、何かしらの核になるようなもの、読んだ時に手触りのようなものが残る作品が書きたかった。成功しているかどうかは分からないですが」
――主に3つの世界で構成されていますが、そのどれもが独特な美しさを持っています。
西崎:「おそらく本当は10も20も世界があって、この作品ではそのなかの3つを書いたということだと思うんです。美しいっていうことに関しては、そんなに意識はしていません。ジョン・ケージがむかし「美は注意深く避けなければならない」と言ったわけですが、それにはちょっと同意したいと思っています。
でも、できるだけ余計なことは書かないようにしたかな。“ディスティニーランド”のような空想的な世界でも、その中で起こっていることは現実的に、そこの風景や事象を、写真を撮るように記録するように書こうとはしています」
――3つの世界のなかでも、「ディスティニーランド」は最も描写が鮮明で言葉が豊かだったように感じました。
西崎:「言葉が豊かという印象があるとすれば、やはりあの部分がファンタスティックだからかもしれませんね。写真を撮るようにと言いましたが、そのなかの風景が暴走しはじめたりもするので、ちょっと厄介なところもあります。本質的に逸脱していくというか。豊かに逸脱していれば、それはそれでいいのかもしれないですが。」
――ファンタスティックな世界をよりファンタスティックに書くためにどのようなことが必要になりますか?
西崎:「多くの作家が言っていることですが、空想的なものであればあるほど実感がないとだめかもしれませんね。一般論として、細部の描写とか、空想内での論理はきちんと通すとか、そういうところにはかなり気をつけないといけないでしょう。緻密な作業ができないとファンタスティックな小説は書けないかもしれません。あるいはものすごく読みにくい小説になるかな。ぎりぎりのところにあるものは書いてみたい気もするけど」
――この作品で描かれている世界を作りあげるためにどのような要素が必要でしたか?
西崎:「モデルではないですけど、現実と空想的な要素がうまい具合に混じり合っているような小説ってこれまでにもたくさんの人が書いているんですよ。特に70年代くらいからのアメリカ文学にはすごく多くて、そういう意味でこの作品は新しいものではないんです。
それらを参考にしたわけじゃないけれども、そういうものを読んできているので、知らないうちに血となり肉となっているというのはあります。 だから、そんなに奇抜なことをやっているつもりはないですが、アメリカ文学なりイギリス文学なりの、リアルなものとファンタスティックなもののハイブリッドのような作品を読みつけてない人は、この作品を読むとちょっと驚くかもしれません。そういう人たちのために、ディテールをよりリアルにしておこうというのは考えましたね。構成も普通の小説より多少こみいってますし」
――確かに、僕もその手の小説をあまり読んだことがなかったので、最初は少し違和感がありました。徐々に慣れていきましたが。
西崎:「予備知識がなければ、そういうハイブリッドの小説は、最初は現実と地続きの世界だという意識で読み始められると思うんですけど、この作品もタイトルや最初の部分でそういう状態が発生するので、どこかでそうした違和感は生じるはずです。
この作品に限らず空想的な話というのは、例えば“言葉を話す馬”が出てきた時点で読者の対応は分かれると思います。『馬がしゃべるなんてありえない』とそこで読むのをやめてしまう人と、逆に『馬だってしゃべるかもしれないな』と思って興味を覚える人。作者としてはそこで本を置いてもらっては困るわけです。だから、違和感を持った人にも読みつないでもらう工夫は必要ですよね。
具体的には、“言葉を話す馬”が出てきたところで拒否反応を示した人たちに対して、“その馬は○○種で、イギリスの○○という町で生まれて、普通よりは小柄”みたいなことを書くことで、本を置くことを引きとめられるというのは多少あると思います。そうやって読み進めるうちに空想と現実の交じり具合が読んでいて面白くなってくる。だから、空想的なものの最初の提示の仕方っていうのはすごく大事なんじゃないかな」
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