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» 2020年08月06日 08時11分 公開

奈良時代の疫病対策でも登場した給付制度、大皿料理回避

感染拡大の収束が見えない新型コロナウイルス。わが国では約1300年前の奈良時代、天然痘とみられる疫病が大流行し、多くの命が失われた歴史がある。先人たちは危機をいかにして乗り越えたのか。

[産経新聞]
産経新聞

 感染拡大の収束が見えない新型コロナウイルス。わが国では約1300年前の奈良時代、天然痘とみられる疫病が大流行し、多くの命が失われた歴史がある。先人たちは危機をいかにして乗り越えたのか。出土遺物や文献から、当時の対策の一端がうかがえる。

(岩口利一)

奈良時代の食器。感染予防のため、ほぼ完全な形で捨てられたとみられる=奈良市の平城宮跡資料館

 奈良文化財研究所・平城宮跡資料館(奈良市)では現在、「古代のいのり−疫病退散!」と題した展示会(8月30日までの予定)が開かれている。

 展示品の中で注目したいのは、ほぼ完全な形をとどめた奈良時代の食器。約30年前、平城京の東西を結ぶ主要道路だった二条大路跡の路肩部分のごみ捨て穴から出土したものだ。

 続日本紀(しょくにほんぎ)によると、天平7〜9(735〜37)年にかけて「疫瘡(えきそう)」が流行。九州からはやり、平城京では政権を担った藤原4兄弟が相次いで亡くなった。食器は出土木簡の年紀からこの頃、感染防止のために使い回さないよう捨てられたとみられるという。

 「なぶんけんブログ」でも当時の対策を紹介した奈良文化財研究所の神野恵・考古第二研究室長は「以前からそのように想像していたが、新型コロナにより実感として分かってきた」と説明。奈良時代後半になると、小型の食器が多くなったことが分かっており、感染予防のため大皿での盛り付けを避けたと考えられるという。

 二条大路跡の穴からは、疫病を蔓延(まんえん)させたとされる「唐鬼」を大蛇に食べてもらおうとの願いを込めた木簡も出土。けがれを移して川や溝に流す人形(ひとがた)や絵馬も見つかっている。神野室長は「当時、薬は高価だったので、これらは真剣な医療行為だったのでしょう」と話す。

 一方、当時の文献からも数々の疫病対策が読み取れる。

 続日本紀によると、天平7年、天皇は寺で読経させるとともに、疫病に苦しむ人たちに米などを給付。街道では悪鬼を防ぐ祭祀(さいし)「道饗(みちあえ)」を行うよう命じた。また、9年に太政官が諸国に送った文書には、感染者の症状を記した上で、体を冷やさずに重湯や粥(かゆ)を与えるといった注意事項が記載されている。

 奈良大学の渡辺晃宏教授(古代史)は「政府は病気の症状や経過についてよく把握していた。期待されたほどの効果はなく、多くの犠牲者が出たが、できる限りのことをしていた」と分析。租税を免除するなど、政府は素早く対応したとみられる。

 コロナ禍の現在とも照らし、渡辺教授は「情報網がない中で病気に立ち向かうのは実に恐ろしく、並大抵の苦労ではなかっただろう」と実感を込める。

 当時の聖武天皇は、相次ぐ疫病や災害に心を痛めていた。遷都を繰り返すとともに、仏教をあつく信仰。天平15(743)年、大仏造立の詔(みことのり)を発布する。

 <生きとし生けるものすべてが栄えることを願う>

 そう述べ、大仏造立に向け、たとえ一枝の草、一握りの土でも持ち寄り、参加を望む者があるならば受け入れるとした。

 東大寺の橋村公英執事長は「当時は人の力が及ばないことによって多くの不幸を経験した。そんな中、大きな支えが求められ、多くの人の思いを生かす形で大仏が造られたことを改めて思う」と語る。

 さまざまな対策や祈りによって、危機を乗り越えようとした1300年前の人たち。彼らの営みを知ることで勇気がわいてくる。

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