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» 2023年08月02日 11時05分 公開

AIは「職人技」を再現できるか 製造業、農業で模索の動き

AIへの投資は大企業が先行しているが、中小企業や農業の現場でも、人手不足を背景に模索が始まった。「人の仕事を奪う」という脅威論が台頭する中、AIを業務の効率化や労働環境の改善に役立てる仕組みづくりが重要になっている。

[産経新聞]
産経新聞

 人が長い経験を積んで身につける「職人技」の継承で人工知能(AI)を活用する動きが出ている。AIへの投資は大企業が先行しているが、中小企業や農業の現場でも、人手不足を背景に模索が始まった。「人の仕事を奪う」という脅威論が台頭する中、AIを業務の効率化や労働環境の改善に役立てる仕組みづくりが重要になっている。

 三菱総研と三菱UFJフィナンシャル・グループが出資するシステム開発会社、三菱総研DCS(東京都品川区)は昨年までに、「熟練技能者の暗黙知をAIで代替する実証実験」を製造業2社と行った。

三菱総研DCSが中島合金と共同で行った実証実験で、両社の打ち合わせの様子(三菱総研DCS提供)

三菱総研DCS、銅合金鋳造メーカーなどと共同で実証実験

 まず、銅合金鋳造メーカー、中島合金(東京都荒川区)と共同で実施。同社では純銅鋳物の製造工程の途中、気泡などの不純物で品質のばらつきが出ることを防ぐため、鋳型に流し込む前の溶解炉に調整用の「添加剤」を入れる。投入量は、どろどろに溶けた原材料の状態などをみて決めるが、その判断には長年の経験と感覚が必要で、「若手への継承が難しい」(同社)ことが課題だった。

 三菱総研DCSは、中島合金の熟練工に、どんなところに着目して添加剤の量を決めているかを聞くとともに、データを収集し、AIに学習させた。実証実験は、実際の純銅鋳造を行い、添加剤の投入量に関してAIでの予測と熟練者の判断を比較。熟練者が問題ないと判断した場合、AIの予測値通りに投入した。すると、14回中13回でAI予測値が採用され、品質も安定的だったという。

 次に、金属熱処理などを行う上島熱処理工業所(東京都大田区)とも実験を行った。同社はさまざまな製品に熱処理を施すことで、求められる硬さにする。「焼き入れ」で硬くし、温度などの条件を変えて熱を入れる「焼き戻し」を3回行い、弾力性を高めるとともに、狙った硬さに持っていく。最終的な品質を決定する3回目の焼き戻しについて、熟練工の判断をAIで再現できるかを試した。

 ポイントは温度と処理時間の設定。仕掛かり品の硬さや金属の種類、大きさなどで変わってくるが、その判断は非常に難しい。AIに1年間の実績データを学習させると、93〜97%の“正解率”が得られた。

昨年12月から、AIサービスをテスト販売

 両実験を経て、三菱総研DCSは昨年12月から、このAIサービスのテスト販売を10社限定で実施。販売実績は明らかにしていないが、「製造品質の安定化に貢献できることを確信した」としており、令和5年中にも本格的な事業化に踏み切る見通し。ビジネスイノベーション企画部で、「人間中心設計専門家」である武内亜美氏らが、顧客企業にとってなじみのないAIの使い勝手が良くなるように商品設計する。

AIを使った品質安定化サービスに携わる三菱総研DCSの永田貴弘氏(左)と武内亜美氏=東京都品川区(高橋寛次撮影)

 AIによる「品質安定プラットフォーム」を基盤に、条件と結果を数値で示すデータが一定量あれば、さまざまな現場で応用が可能だという。永田貴弘シニアAIエンジニアは、「大企業には投資でデータサイエンティストのグループを雇用し、AIを活用する動きがある。それほどお金をかけられない中小企業は、こうした流れから取り残されがち。AIを使ったデータ分析を製造現場の当たり前にしたい」と強調する。

熟練者の代替ではなく役割分担

 AIが代わりを務めるようになれば、熟練工はいらなくなるのではないかという疑問に対し、永田氏は、「生産現場での成功の鍵は『作業の標準化』で、それができるのはやはり熟練者の方々。その人たちの時間的余裕を確保すれば、他の作業の標準化を進められる。熟練者を代替するのではなく、役割分担して協働することを提案している」と話す。

 一方、甲府市では2〜3年度、ブドウ職人の技をAIに学習させ、栽培の効率化を支援する試みが行われた。地元のIT企業「YSK e−com」が旗振り役となり、NECや山梨大などが連携した「スマート農業実証プロジェクト」だ。

 対象は高級ブドウの「シャインマスカット」。例えばブドウには、養分を分散させて粒を大きくするとともに、全体の見栄えを良くするために実を間引く「摘粒(てきりゅう)」という作業があるが、このプロジェクトでは作業者がゴーグル型の情報端末「スマートグラス」を通してブドウを見ると情報はNECの第5世代(5G)移動通信システムで山梨大のAIシステムに転送される。AIが端末に映された実の数と、どの実がなくなれば形が良くなるかを判断し、間引くべき実がゴーグル内に赤く表示される仕組みだ。

 このAIに提供されたデータは、熟練したブドウ職人にカメラを装着してもらい、作業記録をもとにしたという。YSK e−comの山下善雄常務は、「生成AIで加工したものを含め、11万枚以上の画像を取り込んだ」と振り返る。

 摘粒以外にも房の一部を切り落として長さを整える「摘房」や、色づきなどを見て収穫する時期もAIが判断。農業初心者でも熟練者並みの時間で作業をこなすことができたという。AIが懸案である人手不足を解消し、農業の経営安定化に寄与する可能性を示したが、「コストは高く、社会実装には課題を残した」(山下氏)という。現在は新たなプロジェクトが始まり、コストと効果の両立を模索している。

 膨大な経験をもとに作業の“最適解”を導き出すことは、AIも熟練作業者も同じだ。さまざまな地道な取り組みの中で、脅威論ともにAIによる現場の改革期待も胎動している。(高橋寛次)

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