将来を左右するのは情報ではなく人間の「主体性」:新世紀情報社会の春秋(1/2 ページ)
情報があふれる時代だからこそ、その情報を取捨選択する人間の行動力が重要になる。「どうなるのか」をITに予測させることはできても、「どうするのか」を決めるのは人間なのである。
天気予報と経済予測の本質的な違いとは?
前回将来に関する情報はそれなりの価値をもっているといえるが、その一方で、すぐに結果が検証できるものでない限り、それは「確からしさ」とか「もっともらしさ」という宿命を負うことにもなる、と書いた。
そのことについて、もう少し考えてみたい。例えば、我々にもっとも馴染み深い将来に関する情報、つまり予測の1つとして天気予報を取り上げてみる。
ここ20年ほどの情報化の過程で、それはどの程度進歩したのか。この素朴な疑問に対する答えは意外に単純ではない。時間帯やエリアが細分化され、週刊予報も毎日更新されるようになった。そして、それらがパソコンや携帯電話で、いつでもすぐに分かるようになったことも事実だ。その意味で天気予報は間違いなく便利になったといえる。しかし、生活で必要な予報の精度が以前より上がったかと言われれば、どうだろうか。筆者の個人的な感覚を言えば、率直に「はい」と答えることはできない。
一方で、海洋研究開発機構の「地球シミュレータ」が、温暖化を中心とした地球環境の将来について、具体的な演算に基づいた予測結果を次々に出して話題になっている。これが結果として正しいのかどうか、いま知る術はないが、気象という自然環境について、地球規模でかつ20年や50年といった長期のトレンドであれば、豊富なデータに基づいた科学的予測が一定の信憑性(あるいはそれ以上のもの)を持つに至ることを示したことは確かである。言い換えれば、いくつもの気象衛星や大規模なコンピュータを予測という目的に本格的に投入し、ようやく得られる成果だともいえる。自然はようやくITで予測する時代に入ったのかもしれない。
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