「人は育てるものではない、一緒に育つもの」――中野区役所・平田氏:エグゼクティブ会員の横顔(1/2 ページ)
プロジェクトは人を大切にして成功する。かつてプロジェクトマネジャーとして怒涛の日々を送った経験が財産になったという中野区役所の平田氏は、皆で夢を共有できれば困難を乗り越えられると話す。
ITmedia エグゼクティブの会員に対するインタビュー企画「エグゼクティブ会員の横顔」。第8回は、30万人を超える人口のうち20〜30代が約40%を占めるという活気ある中野区で行政に携わる、中野区役所 政策室 副参事でCIO(最高情報責任者)補佐官を務める平田祐子氏に話を聞いた。
ユーザーは夢を描くのが仕事
――現在の業務内容を教えて下さい。
平田 情報政策担当として、地域情報推進計画の中で情報システムを使って区民の皆さまの生活に価値を提供できるように考えています。具体的には、電子申請システム、そして現在開発中の地図情報システムなどがあります。また、CIO補佐官としては区全体のIT投資のガバナンス、および区が導入を検討している情報システムについての仕様の明確化、見積もりの精査、事務改善などを行っています。
中野区では2007年度末に情報システムのライフサイクルを管理するための「情報システム調達ガイドライン」を策定しました。実施にあたり仕組みと体制が必要なため、翌年にCIOおよびCIO補佐官を設置しました。目指すところは全体最適です。今まで各主管部課に任せていたところもあったので、全体を見ると重複や無駄があったり、ベンダーへの依存度が高い部署がありましたので一気に見直しました。幸い、区長や上層部の理解もあり実現することができました。CIOやCIO補佐官を設置したのは東京都内でも早いほうだと思います。
――これまでの仕事の歩みについて教えてください。
平田 最初は戸籍や住民票を発行する区民課に配属され、次に職員課に異動しそこで初めてCOBOLのプログラムを組みました。今では笑い話ですが、生まれて初めて組んだプログラムではリストに区長が2000人出てきました。
次にシステム開発のために7年ほど福祉課に在籍しました。そのころはスクラッチでシステム開発をしていました。情報システムを離れて窓口業務など住民の方とかかわる業務に携わった後、予算査定の部門を経て、9年前に今の情報システム部門に異動してきました。
わたしが初めて情報システムの開発にかかわったころは、大量一括処理の名残があり、スクラッチ開発がほとんどでした。その当時のユーザーは夢を描くのが仕事で、ITベンダーがそれをシステムとして提案するというのが構図でした。双方で議論しながら夢を現実にするため、構想をブラッシュアップしながらシステムを構築していきました。
今は必要な製品がソリューションとしてそろっているので、それらの機能がどれだけ適合し、どれだけズレがあるのかを評価分析できる、フィット&ギャップの能力がユーザー側に求められるようになりました。以前に比べると業務を具体的に見るスキルが求められているように思います。製品が増えて選択肢も広がった分、焦点を絞るのが難しくなってきています。ただ、製品を使用する場合でも中身が分からないブラックボックスになってしまうのは危険なので、主導権は自分たちで持ち、コントロールすることが必要だと感じています。
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