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パラダイムシフトを乗り越えるために、新たな資本主義を確立する気概を持て!―― 一橋大・米倉教授ITmedia エグゼクティブセミナーリポート(1/2 ページ)

一橋大学教授の米倉誠一郎氏によると、今回の不況はパラダイムシフトによってもたらされたものであり、この状況を克服するためには従来の発想とはまったく異なる経済発展の道を見つけ出すことが不可欠なのだという。

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日本経済が新たな成長軌道を描くための条件

一橋大学イノベーション研究センター教授の米倉誠一郎氏
一橋大学イノベーション研究センター教授の米倉誠一郎氏

 2009年10〜12月期における日本企業の経常利益は、前年同期比102.2%増の10兆3763億円となり10四半期(2年半)ぶりの増益に転じた。ただし、日本経済の先行きは依然として不透明なままだ。事実、全産業の売上高は同3.1%減の335兆1782億円と、8四半期連続で減収を続けている。自動車や電化製品など、日本を代表する産業においても、本業だけで十分な利益を確保できている企業は皆無に等しい。

 アイティメディアは3月4日、企業経営層向けのセミナー「第10回 ITmedia エグゼクティブフォーラム」を開催した。基調講演に登壇した一橋大学イノベーション研究センター教授の米倉誠一郎氏は冒頭で「今回の不況は単なる景気循環によるものではなく、パラダイムシフトの結果であることを理解する必要がある」と強調。内燃機関によるピストン運動よりもエネルギー効率の高い電気自動車の実用化や、中国経済の台頭をその例に挙げ、「こうした中にあって日本経済が成長を続け、世界第一位の質的な経済大国を目指すためには、新たな資本主義を作り上げるという気概を持つことが重要なのだ」と、変化に対応するための大胆な改革の必要性を訴えた。

戦後の経済復興に見る発想転換のためのヒント

 日本経済は戦後、奇跡とも呼ばれる復興を果たした。その歴史に学ぶべきことは今でも決して少なくないと米倉氏は説く。

「日本の復興にあたっては天然資源や原油に恵まれていなかったこと、さらに、耕作面積の少ない島国に、人口7500万人以上が居住するという3つの課題を乗り越える必要があった」(米倉氏)

 これらは第二次世界大戦で、日本がアジア地域への海外展開を進めた理由でもある。このハンデを克服する方法こそ、「不足する資源を輸入によって補い、付加価値を付けた商品を輸出することで産業を振興させる」(米倉氏)という従来からの大胆な発想の転換に根ざしたものであった。

 例えば戦前、あらゆる産業を支える鉄を製造する製鉄所は、八幡や室蘭、釜石など原料を産出する地域に配置された。だが、戦後からわずか6年後の1951年、旧川崎製鉄(現JFEスチール)は千葉県に千葉製鉄所を新設する。これは、東京という一大消費地に着目し、需要の変化に柔軟に対応するとともに、輸出を円滑に行える体制を整えるためであった。

 また、加工貿易を振興するに当たっては、輸送船も大量に必要となった。これに対する“解”が軍事技術の民生化である。これにより、いわゆる「インテグラル(すり合わせ)型」の船舶をモジュラー化して製造する手法を確立し、その製造効率を劇的に向上させることで、戦後日本の経済成長を軌道に乗せることに成功した。

「人口過剰という問題は優秀な労働力と膨大な内需と認識転換され、日本は高度経済成長理論に基づく経済発展を成し遂げた。戦後の焼け跡からこの将来像を思い描いた人には敬服せざるを得ない」(米倉氏)

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