『領土』著者 諏訪哲史さん:話題の著者に聞いた“ベストセラーの原点”(1/3 ページ)
「文学的テロリスト」と呼ばれていることで明らかなように、デビュー作から一貫して前衛的・実験的な作品を生み出し続けている。さらに特異な作品はどのような意図によって書かれたのか。
今回は、2007年に『アサッテの人』で第137回芥川賞を受賞し、この度新刊『領土』を刊行した諏訪哲史さんです。「文学的テロリスト」と呼ばれていることで明らかなように、デビュー作から一貫して前衛的・実験的な作品を生み出し続けている諏訪さんですが、今回の新刊からも過去の作品に劣らず、大いなる文学的野心がうかがえます。
10編の短編からなるこの作品の大きな特徴として、その「形式」があげられます。というのも、1編目から読み進めるごとに文体が変わっていき、最後の短編ではほとんど「詩」のような外見になってしまうのです。
この特異な作品はどのような意図によって創作されたのでしょうか?
――本作『領土』は、小説集として特異な形式を持っていて、1編目から読み進めていくと、一般的な「小説」の体裁からどんどん離れて、最後の10編目では詩のような外見なります。このような文体をとったのにはどのような狙いがあったのでしょうか。
諏訪さん(以下敬称略):「今回は、読み手の聴覚に訴えるものを書こうというのが最初のコンセプトでした。今の小説は『小説ってこういうもんだろ』っていう誰が決めたわけでもない「文法(ルール)」を守らされているところがあります。これまで僕は長編小説を3作書きましたが、そのルールに対して違和感を持ったんです。
つまり、僕の書いてきた作品は、実験的なことをしている顔をしながらも、実はルール内のことしかやっていないんじゃないかという。それで、もっと居心地のいい場所があるんじゃないかと考えた時に、“段落の最初は1文字空けて、句読点をつけて、会話にはかぎかっこをつける”といった小説のルール通りにやるのではなく、読んだ人が頭の中で朗誦する時のリズムの心地よさというものを、第一義に置いて、その「かたち」の中に物語を持ってこようと思ったんです。だから、『形式』をまず重視して『内容』は後になっています。
読み手の聴覚に訴えるものを書こうというのが最初のコンセプトだった」
例えば句読点をつけることは、みんな小説だから当然だろうと思っていますけど、江戸・室町・鎌倉と時代をさかのぼると、句読点って元々は日本語にはないんです。あれは便宜的に作られた記号であって、それをなくすというのは本来の状態に戻すことなのですが、それをするとルール違反みたいなところが今の小説にはあるんですよ。
でも、そのルールは僕にとっては居心地の悪いものだった。であれば、句読点をつけず、その代りに朗誦する時の“ここは1テンポ空けたい、2テンポ空けたい”という箇所を、1文字空け、2文字空け、3文字空けという空白にしたり、もっと空けたい場合は改行したり、1行空けも入れたり、どんどん文字の浮遊感を強めていきました。
だから本当は実験的でもなんでもなくて、元の姿に戻しただけなんですが、読んで違和感を覚える方は多いはずです。なぜかというと読者の頭に“国語”があって、日本語のルールを叩き込まれているからです。 当然“小説にあるまじき作品だ”という声も上がるはずだと思って僕は書いています。そういう意味では挑発行為とも言えますよね。この作品に対してどんな反応が生まれるかというのが今の僕の最大の関心事です」
――こういう文体をとったことで、表現がより自由になったという意識はありましたか?
諏訪:「自由に表現させていただいたつもりなんですけど、作品を創る過程は決して気楽なものではなかったです。骨を削って書くように集中力を研ぎ澄ませて書いていたので、つらい作業でしたね。よく作家が“書く楽しみ”といいますけど、泣きながら書いたというくらい苦しかったです。後から考えれば楽しかったと思えるのかもしれませんが、自分の身の丈に合った服を着るのがこれだけ労力を要することだったのかということですね。
でも、できあがったものは確かに僕が望んでいた形式に近づいていたので達成感はあります」
――この作品は、1編目から段々と、いわゆる「小説の形式」から離れていきます。ということは、後ろに行くにしたがって書く辛さも増していったのでしょうか。
諏訪:「いや、全部同じくらい辛かったですよ。最初、句読点のない作品を新潮社の矢野編集長のところに持っていったんですよ。その時の話し合いはやはり句読点がないというところが焦点になったんですけど、10編目の『先カンブリア」』だけは、いくらなんでもこれは小説じゃないんじゃないかっていうご感想でした。
確かに今改めて見ると、自分でも小説には見えない作品なんですけど、でもこれを小説だと言うことによって、小説の概念が少し変わるんじゃないかという気もしたんです。それをお話して、1編目から10編目の『先カンブリア』までグラデーションを描くように小説の『形式』が崩れていくという構成を考えました。いきなり『先カンブリア』を見せても誰も納得しないし思考もしない。でも、ここまでグラデーションをかけて『先カンブリア』に至らされたら、これをあえて小説と呼ぶべきかもしれないとお感じになるんじゃないかと思ったんです」
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