なぜ経営現場でドラッカーを実践できないのか――仕事を人に合わせろ:生き残れない経営(1/2 ページ)
人がコストカットや原価低減や経費削減、あるいは売り上げ拡大という仕事に合わせられるだけになっていないだろうか。正しい基本は、人が優先になっている。
ピーター・F・ドラッカーは、マネジメントを3つの役割から定義している。
(1)自らの組織に特有の使命を果たす。すなわち経済的成果を上げる。
(2)仕事を通じて働く人たちを生かす。
(3)自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する。
ドラッカーは、マネジメントの役割としてこの他にさらに2つの役割ないしは次元、すなわち時間の要素と管理(昨日を捨てる)があるとしているが、今回は「(2) 仕事を通じて働く人たちを生かす」について取り上げる。このドラッカーが働く人たちを生かす手法として挙げている中から、卑近な手法について検討する。「ダメな人間は、間違った場所に置かれている」と、「仕事を人に合わせること」である。特に、後者は人を生かすテーマについての名言である。
ただ、この「仕事を通じて働く人たちを生かす」議論をするドラッカー理論の中に、どうしても違和感をおぼえる箇所がいくつかあるが、その1つを指摘しておく。そもそもドラッカーは、働く人たちを生かすには仕事に責任を持たせることであり、責任を持たせるには仕事と収入の保証という保障がなければならない、としている。
ところが、ドラッカーは責任を持たせることを実行しないマネジャーが多く、その理由として2つあるとしている。(1)従業員たちが責任を持ちたいと要求することが、マネジャーは権限の放棄を要求されたことだと誤解してしまうから、(2)責任を持って意識を高く持つようになった従業員たちが、マネジャーに対して高度の要求をするようになることをマネジャーが恐れるから、責任を持たせることを組織化しないというわけである。
しかし、実際の経営現場でそんな場面に出くわしたことなど一度もない。少なくとも日本企業では、そんな高度(?)な動機で部下に責任を持たせることに反対するマネジャーなどいない。部下に責任を持たせること、つまり権限委譲が進まない理由は、多くの経営者や管理者がマネジメントを学んでいないから、すなわち彼らは働く人たちを生かすには責任を持たせることだと気づいていない。いや働く人たちを生かそうとさえ考えたことがないからではないか。ドラッカーの分析は、日本企業の実態を反映していない。少なくとも周辺に見かける日本企業では、経営者や管理者にマネジメントを徹底的に学ばせることがその解決策となる。
さて、ドラッカーが主張する「仕事を通じて働く人たちを生かす」ための、卑近な2つの手法について検討しよう。
まず、「仕事のできない者がダメな人間ではない。間違った場所に置かれているだけである」についてである。なるほど、とかく経営者や管理者はダメ人間について、彼らは間違った場所に置かれているという発想をしたことはまずない。本質的にダメだと決め付けて、諦めて放置しているきらいがある。私たちはドラッカーの指摘を素直に受け止め、人の生かし方について反省をしなければならない。
確かに、ダメ人間の場所を変えてやることによって、彼が見事に甦生した例はある。しかし、実態は簡単にはいかない。場所を変えてやってもダメさ加減がほとんど変わらない例は少なくないし、そもそもダメ人間という人種は複数の部署に複数存在するものである。そうすると、場所を変えるにも行き場所がそれほど多くはないし、場所があったにしても受け入れる相手の都合もあるし、代替人材も簡単に見つからない。ということを勘案すると、ドラッカー指摘の手法を常時使えるものではない。結局ほとんどの場合、ダメ人間はダメなりに今の状態で使うしかないのである。
問題は、その使う方法である。まず、本人に対してダメさ加減を具体的に指摘して本人に正す努力をさせるか、強制的に矯正するかしなければならない。これは当たり前のことであるが、意外にダメ人間を陰で批判するが、本人に気づかせたり、矯正しようとしたりする意思や努力が足りない。さらに、目標管理である。長・中・短期の目標を書かせ、きめ細かくフォローアップすることである。そのためには、密接なコミュニケーションが生ずる。手間はかかるが、例えばフォローアップは、1人で背負わないで分担する手もある。仕事の成果への影響もさることながら、1人の人間の生き方に影響する重要な問題である。
次に、「仕事を人に合わせること」である。「仕事を仕事の論理に従って編成することは、第1の段階に過ぎない。第2にはるかに難しい段階が、仕事を人に合わせることである」。ドラッカーの名言である。
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