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『福岡ハカセの本棚』著者 福岡伸一さん話題の著者に聞いた“ベストセラーの原点”(2/3 ページ)

大切にしていることは時間の軸。自分がのように本と出会って、どう楽しんで、次の本と繋がっていったか。読書体験のプロセスを、少年時代から開示してみた。

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新刊JP
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何かを知れば知るほど、自分が何も知らないことを知る

 ――読書というものは本来現実的な見返りを求めるものではないとは思いますが、もし読書になんらかの効果があるとしたらどんなことだとお考えですか?


福岡伸一氏

 福岡:「一つは、自分がこの世界についてほとんど何も知らないということが分かることではないでしょうか。もう一つは、結局うれしいことも悲しいことも、辛いことも希望も落胆も、すべて最後は言葉によってしか納得がもたらされないということが分かることです。

 やっぱりわたしたちは言葉や言い回しを探しているんですよ。読書をすることの効用というか喜びの一つは“ああ、その通りだよね”という言葉と出会えること。つまり、言葉にできなかった思いや、こうじゃないかなと思っていたことを言い当ててくれる言葉を与えてくれるっていうのが読書の最大の効用、喜びだと思います。そういう言葉を得ると納得がやってくる。それによって世界の成り立ちを知っていくわけです」

 ――わたしは学生時代までほとんど本を読んでいなかったのですが、当時ある人に“本を読まないから人の気持ちが分からないんだ”と言われたことがあります。今でも疑問に思っているのですが、読書をすることで人の気持ちが分かるようになるものなのでしょうか?

 福岡:「それはウソじゃないですかね(笑)本を読もうが読むまいが人の心なんて分かりませんよ。むしろ本を読むことで、人の心なんて決して分からないということが分かるんじゃないですか。何かを知れば知るほど、自分は何も知らないことを知るわけですし。

 本を読めば人の気持ちが分かるなんて安易に言われていることはほとんどウソですし、たとえ分かったとしても、そんなのはあっという間に変わります。うれしいことも悲しいことも流れて行ってしまうことが本を読むと分かるのであって、本を読めば人の心や人の気持ちが分かるなんてことはないと思いますよ」

 ――「書を捨てよ町へ出よう」という言葉があるように、読書で得た知識は、身体感覚を通過させることで、より生きてくるというところがあると思います。福岡さん自身は、読書と身体感覚とのバランスについてどのように考えていますか?

 福岡:「必ずしも身体感覚ということとは対応しないかもしれませんが、本で知ったことを現実の世界と対応づけたいということは考えています。本って結局は言葉であったり名づける行為を描いたものですよね。昆虫図鑑なら虫の名前というように、何らかの考えやコンセプトが文字になっているのが本です。それが実際にどんなものなのかを現実の世界と対応させたいという気持ちは持っていますね。

 例えば、図鑑で読んだ虫がどんなところに潜んでいてどんな色をしているのか、物語で読んだ街がどんな街で、どんな匂いや風を含んだ場所なのかということを知るために行ってみたいというのはあります。それがはたして身体感覚ということなのかは分からないですけど」

 ――それは、マップラバーとして自分の中の世界地図が正しいかどうか確かめるということになるのでしょうか。

 福岡:「正しさを確かめるというか、実感したいということですね。言葉っていうのは、何か物があって、それに名前がつけられているから言葉が存在すると思われていますが、実はそうではなく、言葉があるからこそその対象である物が存在するとも言えます。だから、言葉によって名付けられた対象物がどんなものなのか実感してみたいという気持ちは常にありました。

 わたしは子どもの頃からマップラバーとして、『ドリトル先生シリーズ』とか『十五少年漂流記』とか、いわゆる“探検モノ”とか“旅モノ”のように、地図を辿っていくような物語やルポルタージュにわくわくしていました。でも、そんなに活発な少年じゃありませんでしたから、いつも室内でそれを読んでいる“アームチェアトラベラー”だったわけです。それでも実際に行ってみたいと思う町や場所はいつもありましたね」

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