第1回ドラッカー「部下をつぶす上司と部下を生かす上司の違いとは?」:ドラッカーに学ぶ「部下を動かそうとする考えは時代遅れ」(1/2 ページ)
頭の良さは誰もが認める。しかし指示が細かすぎて部下を困らせる上司。自分の考えに抜かりはないと思うからこそ、部下の小さなミスが許せない。そんなタイプは多いと聞く。悲しいかな、困ったことに、優秀な上司ほど部下をつぶす。
マネジメントのことならマネジメントの父に聞こう
「知識労働者にとって必要なものは管理ではなく自立性である。知的な能力をもって貢献しようとする者には、大幅な裁量権を与えなければならない。ということは、責任と権限を与えなければならないということである」
こう言ったのは、マネジメントの父、ピーター・ドラッカーだ。マネジメントのことなら、ドラッカーに聞く以外にない。マネジメントのことでドラッカーより優れた答えを言える人はいないからだ。事実、今もなお世界からマネジメントのことでドラッカーより優れたアドバイスができる人はいないからだ。
「部下が思い通りに動いてくれないので困っている……」
「部下が計画を実行に移してくれないので腹が立っている……」
「とにかく結果を出してほしいが、仕事が遅くて計画が進まない……」
「部下のやる気を高めるために、いい方法がなくて困っている……」
「部下にもっと自発的に仕事に取り組んでほしい……」
これは先日、ある企業で部下を持つ上司から直接聞いた言葉だ。私自身もそのような悩みを抱えて、胃に穴を空けたことがある。また、そんな自分も一人の部下として、散々上司を困らせてきたことだろう。そして、私を教え導いてくれた上司を今でもありがたく思う。過去、こんな上司になりたいと尊敬していた上司もいたし、こんな上司になりたくない悪い見本を学ばせてくれた上司もいた。
良い上司も、悪い上司も、そのタイプを挙げれば切りがない。「頭の良さは誰もが認める。しかし指示が細かすぎて部下を困らせる上司。自分の考えに抜かりはないと思うからこそ、部下の小さなミスが許せない」そんなタイプは多いと聞く。悲しいかな、困ったことに、優秀な上司ほど部下をつぶす。それは最近の傾向として語られることが多いが今始まったことではない。
部下を生かす上司
「彼は、朝は早くに起きてすぐ仕事に取り掛かり、夜遅くまで執務しています。どんな細かい事でも、部下任せにせず、自分で全て指示を出しています」
これは、三国志の時代、諸葛孔明が病を患い、もうじき死んでしまうかもしれないという頃、諸葛孔明の働きぶりを偵察にきた敵国の使者が、上に報告したときの言葉だ。
劉備玄徳がトップに就いていた頃の蜀は、優れた人材がたくさんいた。一人一人が個性という色彩を放っていた。それぞれが持てる力を発揮して、固有の存在として輝いていた。「あの絶体絶命の中で逆転勝利できたのは、張飛の勇気が敵軍を恐れさせたからだ」「あの戦いは、趙雲の活躍で勝利の突破口が開かれた」「あの決戦は、関羽のとっさの判断で全軍の士気が上がった」。
いつも誰かの活躍を耳にし、いつも誰かが誰かをたたえ、いつも自分たちがあげた成果を喜んでいた。
部下を生かさない上司
諸葛孔明がトップになってから、誰かの活躍を聞くことは少なくなった。
「あの絶体絶命の中で逆転勝利できたのは、孔明の戦略が敵軍を負かしたからだ」「あの戦いは、孔明の指揮で勝利の突破口が開かれた」「あの決戦は、孔明の激励で全軍の士気が上がった」。いつも孔明の支えに安堵し、いつも誰かが孔明に感謝し、いつも孔明の作戦があげた勝利をたたえていた。
一番上の上司、諸葛孔明1人が輝いていた。成果をあげているのは上司1人の功績だった。それはまるで、優れた部下が1人もいなくなったかのようだった。事実、当時の孔明は「蜀には人材がいない」と嘆いていた。
その現実は、上司である孔明自身がつくっていた。孔明は、部下の仕事の全てに首を突っ込み、部下に何も任せず、何でも自分で決めようとする人だった。
前記した、「頭の良さは誰もが認める。しかし指示が細かすぎて部下を困らせる上司。自分の考えに抜かりはないと思うからこそ、部下の小さなミスが許せない」。そんなタイプだった。
部下はなぜ自分で考えることをやめるのか
諸葛孔明は、「部下をどう使うか」を考え、「部下をどう生かすか」という考えを持たなかった。当時、そんな余裕はなかったという事情は理解できる。しかし、自分の思い通りに動いてほしいという考えが強いあまり、どんなに細かいことでも、一から十まで指示をしていた。結果として、「指示通りに動く部下」を大量生産してしまった。それは、「部下の育成」を放棄した「イエスマンの育成」といえる。イエスマンはまだいい。指示したこと、またはお願いしたことを実行してくれるからだ。最悪なのがアスクマンだ。
部下に考えさせるべき仕事さえも部下に考えさせず、常に、“ああしろ、こうしろ”と指示を出し続ければ、やがて部下は自分の頭で考えることをやめる。そして、「この件はどうすればいいですか?」「確認しましたがダメでした、で、どうすればいいですか?」「先方はこう言ってきました。どのように返答すればいいですか?」というように、何から何まで、上司に指示を仰ぐようになる。それは、「イエスマンの育成」を超えた「アスクマンの育成」だ。
上司の在り方が部下の仕事ぶりを決める。今日の上司のやり方が、明日の組織の結果を左右する。勉強会やどんなにいいセミナーに部下を参加させ、知識を学ばせても、上司が部下を動かそうと考えているうちは全ては無駄に終わる。部下は自立しないからだ。では、どうすればいいのだろうか。成功の鍵は何だろうか。
ドラッカーはこう言っている。
成功の鍵は責任である。自らに責任をもたせることである。あらゆることがそこから始まる。大事なものは、地位ではなく責任である。ピーター・ドラッカー
部下に成果をあげさせ、成功する上司は、部下を自分の思い通り動かそうとしない。部下に責任を持たせている。ここでいう責任とは、「失敗したら責任とれ」という種類の責任ではなく、この仕事の最終責任者は自分だと思って仕事をしている状態のことだ。まさに、役職ではなく責任である。
実際、仕事において貢献する上司は、部下に何を要求しているのだろうか。そして、部下とどんなコミュニケーションをしているだろうか。
ドラッカーはこう言っている。
仕事において貢献する者は、部下たちが貢献すべきことを要求する。「組織、および上司である私は、あなたに対してどのような貢献の責任を期待すべきか」「あなたに期待すべきことは何か」「あなたの知識や能力を最もよく活用できる道は何か」を聞く。ピーター・ドラッカー
部下を生かす上司は部下に対して、「自分が担うべき責任は何か」「自分が期待されていることは何か」「自分の強みを生かしてどのように成果をあげるか」ということについて、部下本人に考えさせる。あえて部下に考えさせることによって、部下をきちんと方向づけている。だからこそ、部下は自立する。方向づけを手助けしてくれる上司の下で働く部下は、自分の力で成果をあげる。
部下に対する上司の在り方
ドラッカーは、部下の時代の経験を次のように語っている。
私は24歳のとき銀行で働いていた。どんな報告書を出しても、上司は「ありがとう」と言ってくれた。だから、いい仕事をしていると思っていた。あるとき私は、何十ページもの資料を作った。その資料はかなりよくできたと思い自信満々だった。上司にその資料を提出したらきっと褒めてくれるだろうと思った。ところが、上司から「全然ダメだ、やり直せ」と叱られた。そこで私は、「どこがいけないのですか」と聞いてみた。すると上司は、「言われた通りに手を動かすことがお前の仕事なのか!」「どこがいけないか考えるのがお前の仕事だ」と言っただけで、「ここをこうしろ」とか、「ここを直せ」といったことは何も言ってくれなかった。
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