哲学者マルクス・ガブリエル特別対談:日本の組織と多様性――ローランド・ベルガー Diversityプロジェクト(1/2 ページ)
多様性はいま社会からビジネスまであらゆる場でのキーワードだ。しかし、「周りと同じ」や「いままでと変わらない」を求められる傾向の強い日本において、その実現には多くの課題がある。日本において、目指すべき多様性の在り方とは、どのようなものか。
欧州に起源をもつローランド・ベルガーでは、多様性の尊重や個を重んじるカルチャーが深く根付いている。多様性はいま社会からビジネスまであらゆる場でのキーワードだ。しかし、「周りと同じであること」や「いままでと変わらないこと」を求められる傾向の強い日本において、その実現には多くの課題がある。
そんな日本において、目指すべき多様性の在り方とは、どのようなものか。多様性を尊重しながらも結束力の高い組織とは、いかにして実現できるのか。 著書『なぜ世界は存在しないのか』『わかりあえない他者と生きる』で知られる気鋭のドイツ人哲学者マルクス・ガブリエル氏と、ローランド・ベルガー 日本代表 大橋譲が議論した。
マルクス・ガブリエル(Markus Gabriel)、ボン大学教授、哲学者、「世界で最も注目を浴びる天才哲学者」と評される。ボン大学国際哲学センター所長。1980年生まれ。史上最年少の29歳で200年以上の伝統を誇るボン大学の哲学科・正教授に抜てきされる。西洋哲学の伝統に根ざしつつ「新しい実在論」を提唱して世界的に注目される。著書『なぜ世界は存在しないのか』は世界中でベストセラーとなった。NHK・Eテレ『欲望の時代の哲学』等への出演も話題に。
大橋 譲(Yuzuru Ohashi) 、ローランド・ベルガー 日本代表、カリフォルニア大学サンディエゴ校情報工学部卒業。日本ヒューレットパッカード、サピエントを経てローランド・ベルガーに参画。米系戦略コンサルティング・ファームを経て現職。製造業・ハイテク、石油・化学、IT企業等、幅広いクライアントに対して、欧米文化と日本の文化を交えた企業改革や事業再生、クロスボーダーを伴う成長戦略や企業買収の検討・統合など異文化が大きな壁となるさまざまな経営課題の解決で多くの支援実績を有する。
アイデンティティと多様性の関係(Identity and Diversity)
大橋 ガブリエルさん、今日はよろしくお願いします。私はローランド・ベルガーの日本の代表をしていますが、ローランド・ベルガーには多様性を重んじるカルチャーがあり、日本オフィスにもその文化が根付いています。ただ、日本社会全体として多様性についてもっと議論をして、考えを深める必要があると感じています。今日は、そんな議論の場にしていけたらと思っています。
ガブリエル ローランド・ベルガーはドイツの会社なので、よく知っていますよ。私自身は日本にも関心があるので、日本オフィスの大橋さんとお話できるのを楽しみにしていました。今日はよろしくお願いします。
大橋 多様性に関してガブリエルさんと話したかった理由のひとつは、僕自身が多様性のはざまで生きてきたからです。私は小さい頃からアメリカで育ったので、自分がアメリカ人なのか日本人なのか、自分自身のアイデンティティの解釈に悩んだ時期がありました。他人からさまざまなステレオタイプに分類されることに違和感を持っていました。日本人やアメリカ人というような分類ではなく、私は私なのですが。
ガブリエル アイデンティティという言葉が出てきましたが、哲学の観点から述べられることがあります。哲学の分野において、人間は「自己解釈する動物」です。例えば、私が身長180センチであるという事実に解釈の余地はありませんが、私が教授や哲学者であるということは、解釈の対象となります。自分で自分は哲学者だと考えているからこそ、私は哲学者なのです。そして、その具体的な解釈の一つひとつがアイデンティティとなります。
「何をもって日本人とするか」という解釈の仕方も一人ひとり違います。“日本人”という単一の何かがあるというのはフィクションであり、実際には存在しません。あるのは日本の社会や経済、国家のみです。それなのに、そこに参加している誰もが「日本人である」という包括的なアイデンティティが存在すると錯覚し、それに応じて行動をしています。本来人間は自由で多様な考えをもつ動物であるはずなのに、アイデンティティという人間の解釈によって生まれるさまざまなステレオタイプがあることで、多様性が阻害されていると思います。
自律的なプロフェッショナルが結束するには(How can autonomous professionals unite?)
大橋 ローランド・ベルガーは経営コンサルティング・ファームとしては珍しく、各国のオフィスが分権的なかたちで経営を行っています。本社を中心としたトップダウン形式で仕事を進めるのではなく、各オフィスが自分たちで考え自由に活動できるようになっているのです。責任のある自由と多様な考え方をもったプロフェッショナルたちが協力・連携できるこのやり方は、私たちの大きな強みだと考えています。
ただし、こうした文化の中で、多様なプロフェッショナルたちを束ねることは簡単ではありません。私の考えるプロフェッショナルとは自分の頭で考えて一歩先を自走できる人たちであり、それゆえに分散しがちになるからです。なんらかの規律(Discipline)によって束ねることが必要だと考えています。
ガブリエル 大橋さんのおっしゃるプロフェッショナルの定義は、哲学における「自律的主体」という考え方そのものです。「自律的主体」とは、自らが設けたルールにしたがって行動する主体を指す言葉です。もちろん、自らが設けたルールとはいっても成功するための守るべき共通のルールは前提としてありますが。
大橋 まさに。そんな人々をどう結束させていったらよいのでしょう?
ガブリエル まずひとつは、お互いが他者の自律性を奪ってはならないということが言えます。ですから、誰かが誰かを従えるといった構造ではなく、ローランド・ベルガーの哲学やビジョンなど、全員で共有できるものを軸に結束する必要があります。ドイツ古典主義哲学の祖であるイマヌエル・カントは、自律的主体が同じ目的の下で共存する場を「目的の王国」と呼んでいます。そのような状態を作らなければなりません。
ローランド・ベルガーのようなプロフェッショナル同士が活動する組織にとっての共通の目的はビジネスとしての成果や対価というものもありますが、「世界をよりよくしたい」という道徳的価値で表現できる目的も必要です。
ビジネスと道徳的価値観(Business with moral values)
ガブリエル ビジネスによって世界をよりよくしていくという道徳的な観点ですが、これがなければ自律的主体同士の競争が始まってしまう可能性があります。
大橋 ガブリエルさんは著書のなかで「普遍的な道徳的価値観」について書いていらっしゃいます。ビジネスの世界における「普遍的な道徳的価値観」とは、どういった意味を持つと思われますか。
ガブリエル 私の考えですが、世界が大きく連動してしまうデジタルな時代において必要なのは、株主価値を最大化する資本主義ではなく、普遍的な道徳的価値をもった資本主義ではないかと思っています。昨今サステナビリティの重要性が問われていますが、まさに道徳的価値の典型例だと思います。つまり今後の成功のためには道徳性とビジネスを共存させることが必要だ、ということだと思います。ただし共存するためには多様性がとても重要です。
大橋 なるほど。道徳的価値観をもって活動しながらビジネスとしても成功している事例はありますか?
ガブリエル スタンフォード大学が良い例だと思います。意外に思うかもしれませんが、スタンフォード大学・大学院はビジネス的に成功しています。シリコンバレーという世界的にみても時価が高い場所で不動産デベロッパーとして多くの事業を展開しています。大学や大学院は公的な援助など得ることなく運営し利益も出しています。
そこで働く教員達は、世界中に眠る真実を解明する多様なプロフェッショナルです。そういったプロフェッショナル達が「社会の利益」のためという共通の目的のために協業する、これがまさに大橋さんが求めているプロフェッショナル達が結束している状態に近いのではないでしょうか。多様性、普遍的な道徳的価値観、そして資本主義が重なり合うことで今後の社会をリードできると思います。
日本に必要なのは「考え方の多様性」(Japan needs ‘diversity of thinking’)
大橋 ガブリエルさんは日本社会への深い理解をお持ちですが、多様性の観点から見て、日本文化の長所や短所についてどのように考えられていますか?
ガブリエル 日本は過去150年で、とても教養のある国に急成長しました。社会的不平等も少なく、小さな国ながらも経済的に世界トップレベルです。ただ、その成功がゆえに、保守的になってしまったのでしょう。いまはテクノロジーによって人類史上最も急速に社会が変化しています。保守的な考え方だけでは急速な変化に対応しきれません。
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