ソクラテス哲学から最新遺伝子工学まで〜教養を武器に、ビジネス力を磨く方法:ITmedia エグゼクティブ勉強会リポート(1/2 ページ)
物事の本質を理解するために重要なのが「教養」である。しかしプラトンや孔子、ダーウィンの名前は知っていても、それらの著書を読み通したことがある人は少ないだろう。実はビジネス力を磨いて正しく判断をする上で、これらの教養は武器になる。
ライブ配信で開催されているITmedia エグゼクティブ勉強会にウォンツアンドバリューの代表でマーケティング戦略コンサルタントの永井孝尚氏が登場。著書『世界のエリートが学んでいる教養書必読100冊を1冊にまとめてみた』をもとに、ビジネスパーソンが物事の本質を理解し、考え抜く力を身に付けるための方法について講演を行った。
正しい判断力を身に付けるために必要な「教養」という武器
ビジネスカの基本は、「状況の評価/分析」を行い、「意思決定」し、「実行」し、「成果」をあげることだ。この最初の段階「状況の評価/分析」のカギは「正しい判断」である。ここで重要なのが、情報の正確さの見極めだ。世の中には意外と間違っている情報も多い。そこでより正確な情報や知識を見極めるために必要なのが、教養だ。つまりビジネス視点で考えると、教養とは「情報を見極めるための知識」とも言える。洞察力が浅いマーケッターから脱皮して、抜きん出たマーケッターとして成功する上でも、「教養」がカギとなる。洞察力が深いマーケッターは、教養に裏付けられた「情報の見極めの解像度」が高いのだ。では、教養を身に付けるにはどうすればよいのだろうか。
近年はネットを中心に情報を収集する人が多い。しかしネットを見るだけでは教養は身に付かない。ネットでは自分の関心分野にコンテンツが最適化された上で、フィードされて流れてくる。このため未知領域の存在に気付かない。例えばアンチ与党の人には、アンチ与党の情報が集まりがちだ。だから本人は「世の中はアンチ与党の人しかいない」と信じ込んだりする。逆もまたしかり、だ。
一方で書籍には「その分野で知るべき情報」が集まっている。だから書店でさまざまな書籍を知り、幅広く読書をすると、自分の知らない情報に多く触れて未知の領域の存在に気付き、新たな知識が広がっていく。その結果、次第に「知的な謙虚さ」も身に付いていく。つまり教養を身に付けるには、読書習慣を持つことが近道なのだ。
教養書は人類の叡智の結晶
そこで読むべきなのは、人類の叡智の結晶とも言える教養書だ。人類数千年の営みのなかで抽出され、歴史を通じてろ過されたのが「骨太な教養書」なのだ。
こういった骨太な教養書を網羅的にまとめて紹介したのが、永井氏の著書『世界のエリートが学んでいる教養書必読100冊を1冊にまとめてみた』だ。西洋哲学21冊、政治・経済・社会学18冊、東洋思想18冊、歴史・アート・文学16冊、サイエンス・数学・エンジニアリング27冊。これら合わせて100冊、合計すると5万350ページが、688ページに読みやすくまとめられている。
「読書なんて古い、教養なんてAIや検索の時代に学ぶ必要はない、と考える人もいるでしょう。確かにネット上には膨大な知識があります。しかし実際には、人は脳内の知識を瞬時に組み合わせて考えています。脳内にないAIや検索情報は使えません。質問をするにも知識が必要なので、分からないことがあっても知識がなければまともな質問もできません。教養とは、すなわち脳内にある知識なのです」(永井氏)
教養があるとどうなるか。まず、より正しい考察ができるようになる。さらに、1つの分野に偏らずに、西洋哲学、政治学、経済学、社会学、東洋思想、歴史、アート、文学、サイエンス、数学、エンジニアリングといった分野のさまざまな教養を横断的に俯瞰できるようになると、それまでまったく気付かなかった異分野間のつながりが浮かび上がって見えるようになる。こうなると、がぜん教養がおもしろくなる。
その異分野間のつながりの例として、永井氏があげたのが、約2500年前に書かれた西洋哲学分野の「ソクラテスの弁明」と、最新サイエンス分野の「クリスパー CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見」という2冊のつながりだ。
“不知の自覚”を重視し、知の探究を続けるソクラテス哲学
まずは「ソクラテスの弁明」から説明しよう。「ソクラテスの弁明」は、紀元前470年〜399年、古代ギリシャに生きた哲学者・ソクラテスの裁判の一部始終を、弟子のプラトンがまとめたものだ。本書は裁判記録でありながら、哲学のエッセンスが凝縮されている。ちなみに釈迦、キリスト、孔子と並ぶ四聖の一人と称されるソクラテスは西洋哲学の基礎を築いたが、一切の著述を行わずに、哲学三昧の生活を送った。彼の思想を著作にまとめて現代に伝えたのが、弟子のプラトンなのだ。
ある日、古代ギリシャの都市国家アテナイにいたソクラテスは、巫女に「ソクラテスよりも知恵がある者はいない」という神からの託宣があった、という話を知った。ソクラテスは神を信じてはいたが、「自分に知恵がある」とは思えなかった。そこで「本当に神様が言うとおりなのか」を検証するために、当時の知識人たちと対話を重ねていった。そうした中でソクラテスが分かったのは、「知識人を自称している人が、自分(ソクラテス)の問いかけに誰一人答えられない」という現実だった。「自分はよく分かっている」と公言する知識人たちは、ソクラテスと問答を繰り返すうち話の辻褄が合わなくなったり、矛盾が生まれたりして、答えに窮してしまうのだ。
こうしてソクラテスは考えた。「なるほど。私は何も知らないけど、『自分は何も知らない』と自覚している分、彼らよりも少しはマシ、ということなのだな。神様は正しかった、ということだ」
このソクラテスの考えの根本にあるのは「自分は知らない」という自覚である。これは“不知の自覚”と呼ばれるものだ。ソクラテスはこの自覚を出発点に、他者との対話を通じて本当に自分が知っているか謙虚に検証し続け、知の探究を行ったのである。
「日本ではソクラテス哲学を“無知の知”と理解している人が多いのですが、プラトンの本には”無知の知”という言葉はありません。”無知の知”は教科書にも掲載されている言葉ですが、これは昭和初期にプラトンが流行した時に誤って紹介されたもので、実は間違いです。正しくは“不知の自覚”です。無知の知では『知らないことを、よく知っています』という矛盾した意味になりますが、本来は『自分が何も知らないことは、(そのとおり何も知らないと)自覚しています』という意味なのです」(永井氏)
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