光コネクタ、シェア世界2位 成長の秘密は「天・地・人」 「白山」社長の米川達也さん
インターネットやクラウドサービスの普及に伴い、次々と建設されるデータセンター。そこに不可欠な部品で「白山(はくさん)」(金沢市)は世界2位のシェアを誇る。
インターネットやクラウドサービスの普及に伴い、次々と建設されるデータセンター。そこに不可欠な部品で「白山(はくさん)」(金沢市)は世界2位のシェアを誇る。時流を読み、地元に根差し、人を信じる―。同社をグローバルニッチのトップ企業に成長させた社長の米川達也さん(70)の話からは、小規模でも時代を切り開く企業を支える「天・地・人」が見えてくる。
どん底からの「ストーリー」
小指の爪ほどの部品が会社の将来を変えた。MTフェルール。「光コネクタ」と呼ばれるインターネットの光ファイバーケーブルを接続する端子だ。太さ0.125ミリのケーブルを通す穴の位置は1万分の1ミリの精度が求められる。
白山のMTフェルールは精度の高さで、世界中のユーザーの信頼を集める。平成26年に社長に就任したがその歩みは順風満帆とはほど遠いものだった。
もともと白山はNTT向けに通信用電線の避雷器を製造。35年間勤務したNTTのあっせんを受け、平成24年に副社長に就任した。
「歴代のトップもほとんどがNTT出身。良い会社だと聞いていたのですが」
通信技術の変化で、主力製品の需要は20年近く減少の一途。金融機関から「これ以上は支援できない」と“最後通告”を突き付けられるほど、経営はどん底の状態だった。だが……。
「絶対に逃げない」
すべての責任を負うと決め社長になった。固定費を削減するため、埼玉県の主力工場を売却。本社と製造拠点を石川県に移した。もがく日々のなかで見据えていた1本の細い道がMTフェルールだった。
白山は平成3年にMTフェルールの製造を開始。12年の試行錯誤の末に完成させ、20年に米国の大手通信キャリアに採用された。とはいえ当時は会社全体の売り上げ30億円に対し、MTフェルールの売り上げは1億円強。従事する社員も4〜5人だった。
そこに注目した理由は利益率の高さ。NTTの経験からも将来のデータセンターの成長を予測していた。
「副社長の時から他の事業を差し引いてこれしか残らないと思っていました」
わずか3%の事業に会社の未来を賭ける選択には、社員全員が猛反対したが、見通した未来を信じて転換を推し進めた。今年度の予算では会社全体の売り上げは約80億円を見込み、光コネクタ事業がその8割以上を占めている。
そんな「先を読む力」の源を尋ねたら、意外な答えが返ってきた。
「うーん……。漫画家志望だったからかな」
小さいときから絵を描くことが好きだった。小学生のときは、つのだじろうや石ノ森章太郎、藤子不二雄らが「トキワ荘」の“後継”として東京・中野に設立したアニメ制作会社「スタジオ・ゼロ」に遊びに行き、漫画家たちにかわいがられていた。高校生で断念するまで、将来は漫画家になると思っていたという。
「ストーリーを作ることが好きなんですね。ストーリーを考えるということは、過去と今の流れを踏まえて未来を想像するということですから」
白山は今年1月、古河電気工業のグループに入った。MTフェルールの世界シェア1位を目指すとともに、耐熱性の高い光コネクタなど新たな製品の開発と実用化に挑み続ける。
「われわれ中小企業は常に、大手がもうかると判断して進出してくる分野の“一歩先”にいないと」
人を引き付けるのは「面白いストーリー」。これからも社員とともに、それを現実に変えていく。
「石川愛」復興につなぐ
「GAPPA会議」。幹部が参加する経営会議の名称だ。インターネット社会を支える白山らしくスマートな英語の略語ですか?
「石川弁ですよ。大好きな言葉なんです」
「ガッパになる」は石川弁で「一生懸命に」や「必死に」の意味。脇目もふらず一つのことに集中する様子を指す言葉という。
重要なのはつまらない自意識や他人の目を消し去ること。方言の少し泥臭いニュアンスを大切にするネーミングに、石川への愛がにじむ。
白山が登記上の本社を東京都豊島区から、金沢市に移したのは平成28年。当時は「東京23区から石川県に本社を移転した第一号」として話題になった。生産も能登・志賀町の石川工場に統合した。
主力事業を光ケーブルを接続する端子「MTフェルール」の製造に集約し、不採算事業を整理するための選択だった。だが、一方で取り巻く環境に魅力を感じていたことも事実だ。
「お客さまやパートナー企業、研究機関、大学など立場や所属はあっても、枠を外せば『人のネットワーク』。東京では個々の顔が見えないけれど、ここではそれが認識できる」
自身も金沢大学で機械工学を専攻。趣味のサイクリングや自転車の改造に夢中になった。青春時代を過ごした場所でもあるだけに石川には絆を感じている。
「移転してからいろんな形で『運』が向いてきたと思います」
そんな“再生の地”で順調に発展していた白山。だが令和6年1月1日の能登半島地震が工場を襲った。
1月4日には従業員全員の無事を確認。事務棟の天井が崩落したほか、窓が破損するなどの被害があったが、製造機器の転倒や損傷はなかった。
幸いだったのは、工場を建設した会社から1月5日に連絡があり、10日から修繕を開始できたことだという。「心配して声をかけてくれたことが、いち早い工事につながった。地元のつながりのありがたさを感じました」
1月15日には「少しでも生産を再開させたい」という従業員の声を受け、年末に製造していた製品の点検や梱包(こんぽう)に着手。4月1日に完全復旧を果たした。
「現地入りし『大変なことが起こった』と感じた4日の時点では、これほど早い復旧は予想できなかった。さまざまな支援には本当に感謝しています」
会社が復旧にこぎつけた現在、頭から離れないのが復興にはほど遠い能登の現状だ。地元の自治体や県には「仕事を失った人を受け入れます」と表明。震災で閉鎖された工場の従業員などを採用し、石川工場の社員は、震災前の約60人から現在約80人に増えた。
復興のあり方にも思いを巡らせる。「被災地に更地が増えていく。その結果、人が流出し、それが『ゴール』になってしまうのは寂しい。更地の“先”を考えることが大切です」
思い描いているのは、定期的に人を集めることができる「学びの場」。例えば能登に研修施設を設け、集中合宿などを行うことが賑わいを取り戻す一端になるのではと考えている。
「参加者と地元の交流も生まれるし、被災地の現状を知ってもらうことにもつながる。必要なのは能登に人を集め、人の流出を防ぐ仕掛けだと思います」
震災がもたらしたのはマイナスだけではない。被災直後から復旧まで、折々の状況をウェブにアップしたところ、世界中の顧客企業から、出荷再開のめどなどの問い合わせが相次いだ。
それまで製品は専門の商社経由で提供していた。このため、ユーザーについては十分な情報を持っていなかったが、直接連絡を取り合うなかで関係の強化が進んだという。
「世界に製品を供給する責任の重さを感じました」
震災で見つめ直した「地元」と「世界」。ふたつのつながりを両輪に、さらなる高みを目指して進む。
「人中心」で一丸
料亭の人間模様を描いた漫画「味いちもんめ」に学ぶ人の褒め方、バーチャルシンガー“初音ミク”が示す著作権を開放する強さ、英語の“resolution(解像度)”の意味、ソニーの前身「東京通信工業」の設立趣意書に盛り込まれた理念……。
毎週月曜、SNSで社員に約4千字の「メッセージ」を発信している。それ以外にも短いブログをほぼ毎日、社員向けに書く。
「駄文ですよ」。謙遜するが、いつもテーマを頭の片隅に置いて月曜の朝に書き始める。ストックをしないのは「ネタが古くなるから」。松下幸之助やスティーブ・ジョブズ、企業の先輩の言葉からテレビ番組、小説、漫画まであらゆることから得た学びを、社員に分かち合いたいという心の熱量が伝わってくる。
「結局、人が好きなんですね」
白山の理念は「ヒト・セントリック(人中心)」。原点は米・スタンフォード大留学とその後のNTT米国法人で駐在したシリコンバレーでの経験だ。
当時はインターネットの“夜明け前”。Yahoo!共同創業者のジェリー・ヤンら、後にネットの世界を牽引(けんいん)していく多彩な人材とも交流があった。そんな日々の中で今も忘れられない光景がある。
「喫茶店とかにクレヨンなんかの筆記具と、テーブルクロスみたいな模造紙がある。そこに落書きしながら、みんながディスカッションするわけですよ。まさに『オープンイノベーション』の原型ですよね」
外部のアイデアや技術を積極的に取り入れ、新たな価値を創造する。自分が最も得意とする分野を主張する一方、ビジネスに必要な他の機能は、パートナーとのネットワークで実現していくのが、シリコンバレーの流儀だと知った。
まず「個」があり、その「連携」が大きな力を生み出す―。当時の体験が、社員一人一人を大切にし、関わる全員が幸せになる会社を目指す現在の姿勢につながっている。
そんな「人中心」を端的に示すのが、経営に対する考え方をまとめた「経営者の十戒」だ。
「『転原自在』と思え」「いつも、誰に対しても『自分』であり続ける」……。「転原自在」は「状況を転じる原動力は常に自分の中にある」という造語。10のルールに共通するのは自分を信じる心、そして他人にもその力があることを信じる心にほかならない。
人を重視し、育てていくために不可欠なのがコミュニケーションだ。「本当はリアルのほうが取れると思っているけれど」。対面にはこだわらない。新型コロナを機にテレワークの取り組みを加速。令和4年の「テレワーク推進賞」の奨励賞も受賞した。
白山は社員1人に1台の端末を配布。社員は会社のお知らせやメッセージに加え、経営会議の内容を見ることができる。経営上の数字とともに、社長の質問や幹部の答えなどを実名で公開している。
「もともと隠すような数字もないし、オープンにして『みんなで一緒に考えよう』とするほうが、ずっと楽ですよ。でしょ?」
さらに稟議書(りんぎしょ)の決裁の過程も公開。社員の起案に上司が質問、それを踏まえて社員が修正し、別の上司にあがり、最終的に社長が承認……という一連のチャットのやりとりをリアルタイムで見ることができる。
上司の修正の指示にチャットを見ていた別の社員がアイデアを出して応援。手続きが滞っていると「早く進めてあげてください」という“援護射撃”が書き込まれることもあるという。
「私が最終決裁すると社員からハートマークや『いいね』がいっぱいつくんですよ。そんな会社は多分ないですよね」
あの日、カリフォルニアの青空の下で感じた自由闊達(かったつ)な雰囲気。あこがれた組織に一歩ずつ近づいている自信が、柔らかな笑顔にのぞいた。(堀川晶伸)
よねかわ・たつや 昭和30年、東京都立川市生まれ。52年に金沢大学工学部を卒業し日本電電公社(現NTT)に入社。人事部門で人材育成などを担当し、平成3年に米・スタンフォード大に留学した。米国法人の勤務を経て帰国。通信端末機器やインターネット検索サービスなどの開発責任者を務めた。24年に白山の副社長に就任し、26年から代表取締役社長。特技は似顔絵を描くことで、退社する社員らに贈っている。
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