永遠のパラドックス「今どきの若者は……」に決着を:生き残れない経営(1/3 ページ)
「今どきの若者は何を考えているか分からない」というのは、いつの時代も語られる。だが嘆く前に教育するのが経営者の義務である。
増岡直二郎氏による辛口連載「生き残れない経営」のバックナンバーはこちら。
「今どきの若者は……。しかし貴方もそうだった!」よく耳にするが、先般も某業界のトップ経営者の集まりで聞いた気になるせりふだ。
「今どきの若者は何を考えているか分からない」「将来が心配だ」「学校では何を教育しているのか」
多くの経営者が異口同音に愚痴っていた。「また聞いてしまった」という感じだ。またまた聞いてしまったからには、テーマとして取り上げざるを得ない。筆者は彼らに言ってやった。
「あなたたちも若いころは同じことを言われていたはずですよ。それなのに結構一人前になりましたよね」
実際、愚痴からは何も生まれない。
「社会人基礎力」なる定義が経済産業省から発表されていることは産業界で1つの指針になっている。だが、それを社員に身に付けさせることが学校の仕事と考えること自体が、経営者として受け身である。前進を阻むことになる。学校に担うべき面もあるが、他人のせいにするのは、天に唾を吐くようなものだ。企業自身が若者を教育し直さなければならないという認識を持つことから始まる。
筆者たちは、「今時の若者」を本当に育てようとしているか。教育は座学だけではない。むしろ、日常の仕事の中や生活の中に当たり前のように教育がなければならない。まず、先輩や上司は若者にしつこく注意を与えているか。
卑近な例として、ここ数年ゴルフをやるたびに痛感することがある。筆者たちがゴルフを始めたころは、先輩や上司がプレー中にマナーやルールについて注意してくるのがうるさくて仕方がなかった。「仕事でないんだから」「遊びまでうるさく言わないでくれよ」。最初は内心でそう思って、舌打ちしたものだ。
しかし、それでマナーやルールが身についた。自分がそれなりの年齢になって、若者や部下に注意すると嫌な顔をされたり、無視されたりする。注意しても、すぐルール違反やマナー違反を繰り返す。そのうち、注意することが無意味で面倒で、嫌われてまでやることではないと思うようになり、諦めてしまう。結果として、あちらこちらのゴルフ場で、マナー違反やルール違反が氾濫している。
職場でも同じではないか。日ごろの仕事や生活の中で、先輩や上司は面倒で、あるいは嫌われてまでと思って、部下にうるさく注意を与えなくなった。部下も素直に耳を貸さない。職場でマナー違反やルール違反が頻発する。部下が育つはずがない。
次に、若者を日常的に育てるのが当たり前という仕組みが企業の中に組み込まれているか。筆者の若いころの経験だが、某社某事業所で事務系と技術系のほぼインフォーマルな発表会と、季刊の機関紙発刊が、それぞれいつのころからかあった。
建前はインフォーマルで参加も自由だったし、テーマも仕事に関連することから社会問題・趣味にわたる広範囲な内容であったが、実質的には事務局が総務部や企画室に置かれ、会社から経費が出て、職制も大きな関心を持っていた。考えようによっては、陰で会社に操られているというような、ちょっと嫌らしい光景かもしれない。
しかし、若手社員にとって、そこで発表したり、投稿したりすることが事業所の注目を浴びるため、彼らの1つの目標となり、日頃研鑽した。一方で、そういう背景があったせいだと思うが、独身寮の中での寮生のサークル、職場の関連部門や異部門間の勉強会などが自然発生して、活発な議論が自由闊達に行われ、互いに切磋琢磨したものだ。
自然発生し、自由であった証拠に、テーマは仕事に限らなかった。レコード鑑賞会などの趣味があり、日本を憂える政治、経済、社会、科学があり、もちろん仕事にかかわるものも含めて内容は多岐にわたった。
「昔はこれといった娯楽もない、そんなことでもやるしかなかったのだろう」という声が聞こえそうだ。しかし、そうではない。この例は、若者を教育する仕組みが企業のDNAとして組み込まれてしまっているため、理屈抜きの本能的動きになっているのだ。
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