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この時代、経営者の腕の見せどころ伴大作「フクロウのまなざし」(1/2 ページ)

経営者と話をしていると不景気を嘆く声をよく聞く。しかし、嘆くだけではどうしようもない。今起きているさまざまな事象の本質を見極め、根本的な対処方法を考える必要があるのだ。

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 「知っていますか、自動車メーカーの経営者が集まって、共同調達ならぬ、IT処理の共同化を構想しているという話」――この会話は、僕の親しいジャーナリストが切り出した話だ。

 確かに、先日の日産・Renault連合とDaimler-Benzとの提携など、自動車メーカー間の次世代自動車開発で競争が激化し、巨額の開発費に世界の大手自動車メーカーといえども単独で投資するリスクに耐えられなくなっている現状を考えると、彼の言っていることももっともだと思った。

 2010年を迎え、世界は完全に「パラダイムシフト」を迎えたのかもしれない。確かに、きっかけはサブプライム・ローン破たんを基点とした金融恐慌だったかもしれない。しかし、それがもたらしたものは、政治、経済、国際秩序、産業構造、技術、われわれの消費を含めたライフスタイルにいたる全般にわたる大変革だ。

富の移転

 経営者および経営に携わる人たちと話をしていると、不景気を嘆く声をよく聞く。しかし、嘆くだけでは、どうしようもない。経営者はまず、今起きているさまざまな事象の本質を見極めなければならない。そうでなければ、根本的な対処は考えられないからだ。

 今、先進国全体の足下で起きている変化は、先進国から開発途上国への所得の大規模な移動なのだ。

 産業革命以来、先進国はさまざまな技術を開発し、新しい産業を興してきた。その結果、利害の衝突が起き、世界的な戦争を経験した。第二次世界大戦が終わり、半世紀以上おおむね平和な時間が流れた。その結果、軍備に振り向ける費用は徐々に低下し、教育、産業への投資が増加した。最初は、国内の消費市場が成熟している国(つまり、国民所得が高い国)が先行したが、その結果、先進国で生産するための労働力コストが上昇した。市場が成長しているうちは、労働コストが多少高くても企業は我慢できたが、先進国市場が完全に成熟して停滞を始めたため、自国以外の市場に視線を移さざるを得なくなった。

 そのころ(1990年代前半)には、開発途上国でも、さまざまな製品が生産されるようになり、それらの製品を購入できる中産階級が育ってきた。

 このような動きは、特に自動車や家電、通信機などの業界で顕著になった。この動きを後押ししたのが、EUのような経済的国境の撤廃だ。

 企業にとって経済的な国境はないも同然となった。販売先として海外市場をうかがうだけではなく、当然、開発途上国向けに適した製品の開発に力を注ぐようになった。また、生産コストの低減を目指し、生産拠点を開発途上国へ移す動きは一層顕著になった。

 これらの動きは、結局、先進国の労働者の報酬の伸びを抑え、労働者の職を奪う結果となった。それに代わり、開発途上国では、新たな雇用機会が続々と誕生し、勤労報酬という形で、次第に豊かな国に変貌した。

 つまり、これは、先進国から開発途上国への「富の移転」なのだ。

先細りする国内市場、にぎわう新興市場

 成長力を失った国内市場に背を向けて、日本のベンダーも遅ればせながら市場を海外に求めるようになった。これまで、主要な輸出先は米国を含む北米、欧州などいわゆる先進国であったが、今や、経営者が最も関心を寄せている中国をはじめとした東アジア市場、インド、南米のような新興市場なのである。

 サブプライムをきっかけにした金融恐慌は、これまで表に出てこなかった市場の構造的な問題を一挙に露呈させた。先進国市場を急速に悪化させたのだ。市場は急速に縮小した。減少幅は恐らく20%に達する。

 それに代わり、開発途上国市場は急速に拡大した。繁栄はほぼすべての分野におよぶ。われわれはこの動きを見過ごしてきたのだ。

 テレビ市場でSamsungが日本のメーカーを抜き去り世界一になった事実について、米国市場で首位を奪われたことばかりに注目が集まった。だが、実際にはSamsungが開発途上国市場で日本メーカーからシェアを奪ったことの方が影響が大きかったのだ。米国の自動車メーカーが破たんに追い込まれたのは、この市場のダイナミズムを見誤ったからにほかならない。

 さて、この動きだが、若干の揺り戻しはあるものの、結果として、先進国から開発途上国に経済のウエートが移ってしまう経済のトレンドに今後も大きな変化はない。

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