非常時にこそ差がでる本当のリーダーの決断力:『坂の上の雲』から学ぶビジネスの要諦(1/2 ページ)
決断とは不確定要素がある中で下すもの。非常時においては、社会的責任を踏まえた大きな決断も必要となる。「覚悟に勝る決断なし」を心がけたいものだ。
大都市の帰宅難民
その日のJRの決断は、地震よりひどいものであった。
3月11日の午後2時46分の地震発生後、真っ先に「本日運休」を決め込んだのは、JR東日本であった。その発表は、確か、同日の午後7時か8時頃であったと記憶する。
都心のほぼすべての私鉄や地下鉄が地震後運行を再開したにもかかわらず、地震当日のJRはその一部さえも再開しなかった。
大都市は、その一部の機能を失うだけで、あっけなく全体機能を失ってしまうことがある。その日は、帰宅難民というより鉄道難民であった。何時間か歩いて帰宅できる距離に住む人はまだしも、多くの男女が避難協力を申し出たオフィスビルのロビーや地下道で寒い夜を明かすこととなった。
なぜ山手線だけでも動かさなかったのか。都市の機能を担う他の私鉄は、それなりに貢献した。偉いものである。大都会に取り残された人たちのために、翌朝まで運行して輸送という使命を全うした。
わたしは、午前3時ごろに地下鉄半蔵門線と東急田園都市線で、大手町から駒沢大学駅までを利用したが、その頃にはまったく混んでいなかった。降車駅で「何分間隔で運転していますか」と駅員に聞いたところ、「5〜7分間隔です。ご迷惑をおかけしております」との心温まる答えであった。
他方、JRは東京のど真ん中の最重要路線である山手線だけでもなぜ動かさなかったのか。安全運行は鉄道の基本であるが、有事の際にも早急に路線点検ができるぐらいの体制はあるのだろうに。路線点検で重大な欠陥があれば、そう発表すればよい。山手線を動かすことでどれだけの人の移動に貢献できたか。安全性を優先するという名目だけであったとすれば、社会的責任について大いに疑問が残る。
当日、わたしは丸の内のある会社で缶詰になっていたので、結果、仲間10人近くと会議室でテレビ報道を地震直後から翌早朝3時近くまで事細かに見ることになった。
「今日は運転を行わない」とのJR東日本の早々の発表に対して「エエッ?」という声が上がったが、「いや、今日は運休と言ったのであり、夜中12時を過ぎて明日になれば、なんらかの対策を打ち出すのだろう」という好意的な意見もあった。しかし、それは現実にはならなかった。それどころか、翌日になっても、再開はずいぶん遅かった。
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