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小林栄三 EC事業への投資――新しい伊藤忠つくろうじゃないか!(前編)西野弘のとことん対談(1/2 ページ)

信販事業、コンビニエンスストア、オンライン証券などに強みをもつ伊藤忠商事の事業群を貫くのはITであり、その情報産業部門を一貫して牽引してきたのが小林栄三社長にほかならない。“野武士集団”とITにはどんな関係があるのか。

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小林栄三(こばやし・えいぞう)氏

1949年1月生まれ、福井県出身。72年大阪大学基礎工学部物性物理工学科を卒業し、伊藤忠商事に入社。香港、米国ロサンゼルス駐在などを経て、情報産業事業部長、情報産業ビジネス部長などを歴任。2000年に執行役員、02年に常務執行役員兼チーフインフォメーションオフィサー(CIO)、03年に常務取締役、04年に専務取締役となり、同年6月より現職。

西野弘(にしの・ひろし)氏

株式会社プロシード代表取締役。1956年4月生まれ、神奈川県出身。早稲田大学教育学部卒業。ITとマネジメントの融合を図るコンサルティングを中央官庁や企業に展開。「装置社会」から「創知社会」の実現を目指す。教育と福祉がライフワーク。


※月刊アイティセレクト」2006年4月号の「西野弘の『とことん対談』この人とマネジメントの真髄を語る」より。Web用に再編集した。

 総合商社が2006年3月期決算で軒並み過去最高益を更新する。業績拡大は原油や鉄鋼の高騰が背景だが、その中でも、資源・エネルギーのみに軸足を置かず、生活消費関連ビジネスを収益源としているのが伊藤忠商事――。

 信販事業、コンビニエンスストア、オンライン証券などに強みをもつ同社の事業群を貫くのはITであり、その情報産業部門を一貫して牽引してきたのが小林栄三社長にほかならない。“野武士集団”とITにはどんな関係があるのか――、小林氏がみせたのは総合商社の明日を模索する戦略家の顔だった。

西野 小林さんの大阪大学での専攻は物性物理ですね。就職先は伊藤忠を選ばれたわけですが、総合商社で理科系出身のトップは珍しいのではないでしょうか。学生時代はどういう生活を送られたのですか。

小林 僕らの時代はね、学園紛争の真っ只中だったんですよ。1968年の春に入学して秋には全学ロックアウト。それから10カ月ぐらい学校に入れない、授業はまったくない。そうなると遊びますよね。酒呑んだり、マージャンしたり、ボウリングやったり・・・・・・。

西野 ボウリング、当時流行ってましたね。すると理科系の学業には・・・・・・。

小林栄三氏
伊藤忠商事株式会社 代表取締役社長の小林栄三氏

小林 程遠い生活でした。時代の影響で、酒呑めば政治や社会について議論し、そういう本ばかり読んでいるわけです。2年生の後半から授業が再開されましたが、すぐにはギア・チェンジできない(笑)

 3年生の終盤には、これは理科系はだめだな、と思い始めましてね。4年生になるとすぐ就職試験です。けど、学生会館に貼り出される求人案内は日立、松下、シャープ、神戸製鋼所・・・・・・、メーカーしかない。その時、たまたま親しい教授から「君は商社の方が向いてるのと違うか」と声を掛けていただいたんです。その方が電磁気学の権威であった伊藤順吉先生で、当時の当社会長、伊藤英吉の実弟でした。

西野 そういうご縁なんですか。いわば偶然の巡り合わせで入社されたんですね。

小林 そうですね、伊藤忠の“い”の字も知りませんでしたから・・・・・・。「伊藤忠って何ですか」と先生に聞いたら、「ほら、御堂筋(大阪本社)にあるだろ」「そうですかぁ」といった調子ですよ。同級生はほとんどメーカーに就職しました。先生に巡り会わなければ今の僕はないわけだけど、商社を勧められたということは、ちょっと変わっていたのかな(笑)

西野 異色の学生だったのでしょう。しかし、入社されてからは情報産業畑一筋ですよね。

小林 電子機器部という部署に配属されたんですが、おそらく人事部も困ったんでしょう。唯一聞かれたのは「君の友達はどんな会社にいる?」ということ。日立とか、東芝とか答えたので、まあ、それに近いところに置いとけ、ということだったと思います。当時はそんな感じでしたよ。

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