【第4回】世にもおかしな日本のIT組織(4)〜ダウンサイジングで追った夢の代償:三方一両得のIT論 IT部門がもう一度「力」をつける時(1/3 ページ)
1990年代後半の「ダウンサイジング」ブームは、ホストコンピュータをプラットフォームにしたシステム開発しか経験のないIT部門長には「打ち出の小槌」に見えたかもしれない。しかし、そこには思いもしない多くのリスクが潜んでいた。
1990年代に流行した「ダウンサイジング」という言葉は、当時のIT部門にとって非常に魅力的だった。ホストコンピュータに比べて、はるかに安価で見栄えのいいシステムを構築ができるのである。
「IT部門はダウンサイジングでコスト削減を実現します」
こう宣言するIT部門は星の数ほどあった。多くの企業でホストコンピュータの縮小計画が打ち出され、ダウンサイジングを推進してIT総コストを削減するというシナリオが次々とスタートした。そこに現れたのが、ERP(Enterprise Resource Planning)である。ホストコンピュータをプラットフォームにしたシステム開発しか経験のないIT部門長には「打ち出の小槌」に見えたかもしれない。
私が初めて「ERP」という言葉を聞いたのは、確か1996年ごろだったと思う。外資ハードウェアベンダーの営業担当者から聞いた。そのころはまだ今のようにERPパッケージはなく、概念にすぎなかった。まさしく、肥大化したホストコンピュータとサーバシステムを全体最適するために再構築プランを作成しようというもので、非常に興味深いものだった。しかし、実現のためには、それなりの投資が必要であり、私自信も予算を獲得するまでには至らず、企画止まりで終らせてしまった。
その直後に出てきたのが当時の「SAP/R3」だ。これにはインパクトがあった。ERPの概念を1つのパッケージで実現してしまうという意欲的な製品だった。このころの競合製品といえば、「PeopleSoft」や「Baan」があるが、今では懐かしい感じさえする。
IT部門の夢よ、再び
このERPパッケージの登場で、IT部門は失いかけた夢を再び追いかけ始めた。企業は、ホストコンピュータをSAPに乗り換え、今こそダウンサイジングを達成しよう、と目標を掲げて走り始めたのだ。90年代後半はそういう大手製造業が沢山あった。
私自身もその中にいた。パイロット的にSAPを導入し、その後、海外の生産拠点にR/3を導入して拠点のホストコンピュータを撤廃する。それに併せて、国内拠点別に設置していたホストコンピュータを本社のマシンセンターに統合して、ホスト撤廃に向けた第一ステップを進める。
とはいえ、できることは単なる物理統合すぎなかった。拠点間で使用していたホストコンピュータのファイル転送の仕組みまで手を付けなかったからだ。ホストマシンの隣の区画にデータを送るのにも、なぜか今まで通りネットワーク経由のファイル転送で行うという非効率なものだった。要するに、ホストコンピュータを物理的にマシンセンターに集約しただけで、効率化のための統合とは程遠いものだった。
「なぜ、こんな体裁だけつくろうような企画になるのか」と、納得がいかなかった私は当時、プロジェクト責任者に噛み付いた。しかし、一担当者が意見したぐらいで方針が変わるはずもない。このプロジェクトはそのまま実施された。ここで本気でホスト撤廃、いやホスト縮小に踏み込んでいれば、現在のような個別最適システムの肥大化にならなかったはずだが、やはり保守的な管理職の保身が働くのだろうか。
このときの舵取りの誤りが、その後もずっと尾を引くとは誰も考えてもみなかった。
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