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片思いからの卒業――CIOの本来の姿とは間違いだらけのIT経営(1/2 ページ)

輸入語であるCIOはなかなか日本企業に根付いていない。CIO任命の要諦とは。

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事務効率化ツールのお守役?

 CIOは、日本ではまだまだ根付いていない。言いようによっては、軽んじられている。

 無理もない。CIOは、80年代後半に米国で提唱され、日本に輸入されたのはそれから10年後、90年代後半である。それ以来約10年経過するが、しょせんは外来種である。日本にはなかなか定着しにくい。定着しないだけでなく、残念ながら軽んじられているのが実態だ。

 なぜ、CIOは軽んじられるのか。ITそのものがいまだに事務効率化の一手段としてしかみなされていないことが主な原因だろうが、CIOの質の低さにも原因がある。ITやCIOの重要性がそこかしこで説かれていても、多くの経営者は潜在的にITを事務効率化の道具としてしか捉えていないし、IT関係者をコンピュータやシステムのお守りをしていればいいのだとしか思っていない。ITやCIOの重要性を認識しているのは、当事者だけなのか。

 そのことは、調査にも裏付けられている。古くて、しかもアメリカの調査だが、米ガートナーが2004年行ったCEO、CIOの意識調査によれば、CIOの80%が「自分はCEOから信頼されている。ビジネスを変革するリーダー的役割を果たしている」と答えたのに対し、それに同意したCEOはわずか40%弱だった。CIOの片思いである。

 その調査では、「CIOは事務的な役割」と認識するCEOも少なくなかったが、最近の日本でも同じことが言える。CIOが経営課題として認識が一番高いのは「コスト削減」で、2位の「財務体質改善」の4倍近くにもなったという(「2007年国内CIO調査」IDC)。CIOは、戦略的テーマに関心が薄いのか。それでは、自らの地位を下げていることになる。

 調査結果ばかりではない。周囲に、それを裏付ける実態が余りにも多い。

 中堅企業A社の取締役経理部長を兼務するCIOのBは、C社長と考えを異にした。C社長が常にA社の将来を視野に入れたBの考えを求めたのに対し、Bは人材不足やトラブル対応でそこまで考えが及ばないという思いが潜在的にあったため、両者は噛み合わなかった。遂にCはBを相手にせず、Bを飛び越えてDシステム部門長に直接接触した。いつもDは、その結果を申し訳なさそうにBに報告した。一方で、情報投資や効果のチェックなどシステムに関する公式の話になると、C社長はCIOであるBの責任を問うた。BとCの間は悪化するばかりだった。この場合、C社長はBを外して、他の役員か自分自身がCIOを務めるべきである。

 大企業E社のCIOであるF取締役情報管理部長は、システム部門の経験もあり、ITに造詣が深かった。Fはトップに忠実で、常にトップの顔色をうかがい、その姿勢に周囲から批判を買うほどだった。Fは若い頃から今のトップの世話になり、役員に引き上げられたため、恩義を感じていたのだろう。しかし、彼らがシステムについて話をしている所を見た者はいなかった。トップはITに無関心であった上に、Fの存在を重要視していなかったようだ。

 大企業G社のH事業所は年商1千億円にもなるので、事業所の組織は一企業並であった。J経理部長はシステム部門を管轄していたので、実質的CIOだった。JはITについて全く知識も経験もなかったが、頻繁にシステム部門の部屋に出入りをしていたし、システム部門とライン部門との人事交流にも心がけていた。何よりもトップである事業所長の信頼が厚く、情報投資やシステム部門の人事考課については有利だったことは否めない。

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