西原春夫 日本を危うくする教育の平等主義(後編):西野弘のとことん対談(1/2 ページ)
早稲田大学元総長の西原春夫名誉教授は、6・3・3制の画一的な学校制度に異を唱え、「大学が世界に誇る英才を輩出できない日本の将来は危うい」と警告する。一方で、北東アジアの平和構築を目指すNPOを設立、国際貢献にも労を惜しまない。刑法学の泰斗を行動に駆り立てる原体験とは。
西原春夫(にしはら・はるお)氏
1928年東京生まれ。早稲田大学法学部、大学院法学研究科で法律学を学び、同大学教授、法学部長、総長を歴任。刑法学の権威として法学界で活躍するとともに、私立大学のリーダーとして教育界にも大きな足跡を残している。また世界各国でも刑法学者、教育家として高い評価を受け、各国大学から名誉博士、名誉教授などの学位・称号を贈与されている。2005年10月にはNPOアジア平和貢献センターを設立し、理事長に就任。
西野弘(にしの・ひろし)氏
株式会社プロシード代表取締役。1956年4月生まれ、神奈川県出身。早稲田大学教育学部卒業。ITとマネジメントの融合を図るコンサルティングを中央官庁や企業に展開。「装置社会」から「創知社会」の実現を目指す。教育と福祉がライフワーク。
※月刊アイティセレクト」2006年6月号の「西野弘の『とことん対談』この人とマネジメントの真髄を語る」より。Web用に再編集した。肩書などは当時のもの
前編はこちら→ 西原春夫「人生はすべて偶然で決まる」(前編)
西野 創立100周年事業はどうなりました?
西原 早稲田の名声は地に堕ちて、募金などできないわけです。時期を遅らせて、結局全部やり遂げましたが、早大はどうあるべきかを考えるのが、総長としての私の後半の仕事になりました。早大は元来、地方の埋もれた英才を集め、人間を磨いて故郷へ返す――、それが大隈重信の建学の精神なんですね。
だから戦後も50年代までは、各学部ごとの判断で特色ある人材を入学させていたらしい。ところが、それが不正入試の温床になったわけです。以後は国立大学と同じく点数で一律に採らざるを得ない。偏差値秀才しか入って来なくなった。果たして私学はそれでいいのか・・・・・・。
西野 そこが企業経営と違い、大学のマネジメントの難しいところですね。
西原 企業のように業績が落ちれば改革の迫力も出ますが、大学はそういかない。さらに大学には「教授会自治」があって、各学部の教員人事、カリキュラム、選抜制度は理事会も尊重しなければならない。そこには個々の教授の利害が絡んでいますから、例えば学部の合併などとてもできないわけです。しかし、今後は少子化の進行とともに大学は変わっていくと思います。
西野 そこなんです。少子化の進行に比例して人材育成は困難になっていますね。戦後の学校教育の課題をどう捉えていらっしゃいますか。
西原 私は、いわゆる「6・3・3制」の弊害を、ずっと文部科学省へ主張してきました。中学3年生というと15歳。子供から大人へ変わる時期です。その時に高校受験をしなければならない制度を、平気で維持している感覚が私には分からない。それに大学からみると、中学・高校の6年では一般教養が足りないんです。だから、大学の前半は教養課程をやるんですが、これが日本の大学を大衆化し、最高学府にしなかった理由です。
西野 なるほど。「6・3・3制」は中途半端だと・・・・・・。
西原 現在は大学院が最高学府に当たるようになった。しかし多くの大学が学部と大学院を一体で運営しています。これでは世界一流の大学はできません。私はね、文部大臣を務めた東大の有馬(朗人)元総長に言ったことがあるんです。
「有馬さん、東大を世界一流にする方法がありますよ。学部はすべて私学に任せ、東大は最高度の研究機構を伴った大学院大学に専念されたらどうですか」
学部を切り捨てれば、研究資金は潤沢になるし、受験戦争における東大信仰もなくなります。
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