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「社員の家族も広報」――徹底した自己PR戦略がSONYブランドを作り上げた(1/2 ページ)

ソニーの創業者の1人である盛田昭夫氏は、企業や自らの価値を高めるために徹底した売り込みを行った。その先には、人材や組織に対する思いがあったという。

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 1946年、ラジオや通信機器の修理などで開業した小さな会社が、今では「世界のソニー」と称されるまでに大きく飛躍した。その成長を支える原動力ともいえるのが、強い製品ブランドである。「Walkman」「VAIO」「プレイステーション」など挙げればきりがない。同社は、日本企業の中でも特にブランドを重視し、育成に取り組んできた。こうした精神は、創業者の1人である盛田昭夫氏の徹底した自己PRから生まれた。

 4月24日、ソニーで井深大氏、盛田氏、岩間和夫氏、大賀典雄氏という4代の創業者社長たちの側近として活躍した元ソニー常務取締役、現CEAFOM代表取締役の郡山史郎氏が、マネジメント層に向けて「第2回 CEAFOM 経営セミナー」を開催した。「盛田昭夫の経営技法」をテーマに講演した郡山氏は、「知名度を高めるためには、売名に徹しとにかく宣伝すること。社外だけでなく、社員やその家族など社内関係者も広報として活用することが大事だ」という盛田氏の考えや行動を振り返った。

 誇大ともいえるPR戦略にこだわった盛田氏は、その先に果たして何を見据えていたのだろうか。

ソニーの歴代社長のそばで、その実像と経営の極意を見極めた郡山史郎氏
ソニーの歴代社長のそばで、その実像と経営の極意を見極めた郡山史郎氏

生まれながらの経営者

 造り酒屋の息子として生まれた盛田氏は根っからの経営者であった。創業当時は、資金調達・管理から、営業、経営までをほぼ1人で担っており、「自分で造って、自分で売る」というスタイルを貫いていた。「本当はほかに誰も売る人がいなかったから」と郡山氏は苦笑するが、その営業力、視野の広さには目を見張るものがあったという。

 海外では既に当たり前になっていた、ブランドで製品を売るという仕組みを日本に持ち込んだのも盛田氏である。トランジスタラジオの製造販売を開始した際に、商標に「SONY」を採用していたが、その後1958年に東京通信工業から社名をソニーに変更した。当時は社内や取引先から反対の声が強かったが、結果として、日本に限らずどこでも読み方の変わらないこの名前にしたことが、同社のグローバルな多角展開につながった。なお、カタカナの社名で上場した企業は同社が日本で最初だという。

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