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「ネット法規制」と惨劇の間で――情報社会における人間形成新世紀情報社会の春秋(1/2 ページ)

インターネットを舞台に発生しているといわれる問題の本質は、インターネットそのものにあるのではなく、それを使う現代の人間や社会にある。

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表層的に手続きだけが先行

 6月11日の参院本会議において、いわゆる「青少年ネット規制法」(青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律)が可決された。情報社会にとって重要な法案であるにも関わらず、政局や財政との関わりが小さいからか、極めて短期間での成立という展開となったことについて、果たして十分に民意が反映されたのかという疑問は残る。もちろん民意で選出された立法府としての仕事と言ってしまえばそれまでなのだが。

 前後してインターネットを中心に各メディアにおいて様々な意見が出された。少々乱暴だがそれらを総括するなら、法の名称に掲げられた課題の重要性を認識しつつも、法制化やその実効性については必ずしも同意しかねるという意見が目立ったようだ。

 一見するとそうした意見は、一部のインターネット関連事業者や放送や新聞などのメディア産業、あるいはインターネットで活動する様々な論者を中心に表明されている様に見受けられる。しかし、もう一方の立場である利用者から示されている見解についても、多少視点や立場の異なる部分はあるものの、意識調査などの結果からはおおむね同様の反応が出ていると筆者は考えている。この問題はまだ低い次元で「総論賛成各論反対」という状況のまま、表層的に手続きだけが先行した様に感じざるを得ない。

情報発信行為のすそ野

 安全対策の具体的方法として提示されているフィルタリングなどの手法が、「臭いものにはフタを」的で「デジタル」な対応であることも、何か時代意識の象徴として皮肉なものを感じる。行政レベルでの対応として、これがより高次の課題への本質的対応を前提としたものであると願いたい。

 インターネットやメディア事業者の思惑や懸念はともかく、生活者の側でも結果的に同様の見方が現れる理由はさほど難しいことではない。それは「クロスメディア」といった言葉に象徴されるように、生活者はインターネットを他のメディアと切り離して認識していないからだろう。インターネットでは情報発信行為のすそ野が、生活者全体にまで拡大しているという従来メディアにはない特性が存在するが、青少年に限らず生活者全体の情報行動は、決してインターネットだけに集約される方向に動いているわけではない。

 言うまでもなく、インターネットを舞台に発生しているといわれる問題の本質は、インターネットそのものにあるのではなく、それを使う現代の人間や社会にある。今回の法制化は、表現の自由の問題もさることながら、情報社会を生きる人間の情報の受容や発信に関する能力の要件とその形成という本質的な問題を置き去りにしたまま、局部的な議論に終始するのは好ましくない。これにより日本の情報社会が前進したのかあるいは後退したのかは、不透明なままといわざるを得ないだろう。

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