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【第5回】トップに引導をわたしてきた歴史ミドルが経営を変える(1/2 ページ)

「名ばかり管理職」というフレーズが象徴するように、弱い立場にあるミドルは少なくない。しかし、時には経営者の暴挙に立ち向かい、会社を大きく変革させる行動に打って出る力強さを持っている。実際起きた事例を基に振り返る。

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 前回の連載で、ミドルを中心とする従業員が経営者にもっと「モノ申すべき」だと主張した。こうした主張に対して、ミドルがトップにモノ申すなど絵空事でしかないとの反論は少なくないであろう。

 しかし、企業経営の歴史を少し振り返ってみただけでも、彼らが経営者にモノ申して引導をわたした事例は実に多い。

 例えば、1990年代初頭に労働組合が経営者解任の引き金をひいたとされるヤマハの事例が挙げられる。同社では、ごく短い期間を除いて、(創業家ではない)親子孫の三代で60年超の長きにわたり経営者の席が独占されてきた。二代目は「足元の明るいうちにグッドバイ」とのセリフを残し、いったんは経営者の席を一族外の人材に譲る。しかし、程なくしてそれを解任に追い込み、その後任に自身の息子を据えてしまう。息子は、成熟した主力事業の立て直し、新規事業のてこ入れを目指して、人事改革、組織改革に取り組んだ。

 しかし、取り組みはいずれも裏目に出て、主力事業、新規事業ともに当初の成果が出せない状況に陥った。バブル景気で「史上最高益更新」との発表が相次ぐ中で同社は、一族外の人材が経営者の時代に達成した業績には足元にも及ばない業績しか上げられず、「早期退職優遇制度」という名のリストラも始まってしまうといった状況となった。

 労働組合が実施した社内アンケートは、社内に漂う停滞感、経営者の手腕への疑問を色濃く映し出す結果を見せていた。こうした危機的状況下で経営者解任に動いたのは、同社の労働組合であった。労使経営協議会などの場で、社内に渦巻く従業員の不満などを伝えるとともに、それでらちが明かないとなると経営者に対して「出処進退を問う」との申し入れ書を作成することとなった。こうした労組の動きが取締役の背中を押すこととなり、取締役会での解任動議の提出に至ったとされている。

 同社に先立って1988年、明治創業で中部地方の名門工作機械メーカーでも経営者の退任劇があったが、この引き金をひいた重要なプレイヤーも労働組合であった。そのほかにも、大手放送局、大手新聞社、大手調査会社、大手経済出版社……、労働組合からの退陣要求が経営者辞任の引き金となる事例が相次いだ。「そういえば」と思い出す読者もいることであろう。

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