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情報社会における「心の豊かさ」とは新世紀情報社会の春秋(1/2 ページ)

米リーマンブラザーズの経営破たんなどの影響で日本にも景気の先行き不安が広がる。そうした現代社会においても、人々は心に豊かさを求めていくことができるのだろうか。

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リーマン・ショックの影響

 今年の夏以降、国内の景気に関する人々の見方は、「後退」という2文字に大きく傾いている。8月に発表された4〜6月期のGDP(国内総生産)成長率が前期比でマイナスとなったことは、景気後退をほぼ決定付けるものだ。前後して日銀や民間の経済調査機関が発表した今年度の経済の見通しも、当初の見込みから下方修正されることになった。

 北京オリンピック開幕後の8月11日に、政府による総合経済対策の骨格が発表されたあたりまではかろうじて足踏み状態でとどまっているかにみえた景気だったが、オリンピック閉幕直後、福田首相の突然の退陣表明で後退ムードが一気に加速した。自由民主党の総裁選へ向けた動きは、世論の向く先を景気からそらせたいとでも言いたげな展開に映る。そこに突然、海の向こうからもたらされたのが、米リーマンブラザーズ証券破たんの知らせだった。

 “リーマン・ショック”による株価や為替などの乱高下は、情報社会における経済の心理と行動を象徴するものだ。筆者もこの事件に関して、今後の経済に対する影響を整理するようクライアントから求められた。構造的な側面に関する整理をするのだと言い聞かせてはみたものの、次々と入ってくるさまざまな情報と変動する市況データのなかで、一定の方向性を描き出すという作業の難しさを改めて思い知った。

データに求められる本質

 勤労者や経営者といった人々の景気に対するマインドを定点観測し、その動きから景気のステータスを相対的に読み取ろうとすることは、世界中で行われている判断手法である。この指数は一定のサンプルの中で、景気が良いと思う人の数から悪いと思う人の数を引くといったシンプルな方法で構成されることが多い。景況感について量的な動きを反映する指標といえる。

 GDPをはじめ国や産業全体の経済規模を推計する統計は、ある時期における一定の規模感を表すものとして重宝できるが、連続的な視点で量的な変化を見ることには向いていない。より高い精度を上げるために時代に合わせて推計方法や内容が変更されるのは仕方ないが、変更があまりにも大きくて連続性が台無しになってしまうからだ。

 過去に発表したデータを改訂する作業についても、目的や根拠が明確な場合は良いが、そこが不十分なまま数字だけが変更されると信頼できるデータなのかと懐疑的になってしまう。

 正確なデータが求められるのは言うまでもないが、情報社会の進化に伴いリアルタイム性あるいは速報性も重要になってきている。それがより多くの情報を求めるサイクルを加速させ、情報技術を発展させる。一方、データは蓄積されることで価値を生み出すものでもある。長期的な蓄積データから導き出されるトレンドが情報社会において重要な糧であることは今後も変らないだろう。

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