情報社会における「心の豊かさ」とは:新世紀情報社会の春秋(2/2 ページ)
米リーマンブラザーズの経営破たんなどの影響で日本にも景気の先行き不安が広がる。そうした現代社会においても、人々は心に豊かさを求めていくことができるのだろうか。
世論調査に見る人々の意識の深層
仕事を始めて以来、さまざまなデータに触れる業務を担当してきた。これまで専門的に見ていたデータの知識を直接的に活用できれば、さぞかし仕事にも深みが出るだろうと感じることは多い。その中で、最近面白いと感じている統計がある。内閣府による「国民生活に関する世論調査」という調査で、一般の人々を対象に現在や今後の生活に対する基本的な意識について、かなり長期にわたって調査し続けているものだ。
この統計との付き合いは、社会人になったばかりの頃からだ。もちろん常に業務に直結していたわけではない。しかし、ここ数年間における国内の経済やICT(情報通信技術)市場、あるいは情報社会そのものの動向を考える上で、この基本的な意識調査の統計が示唆する内容の深さを感じるようになった。
いろいろな視点からの設問があるので、どれを面白いと感じるかは人それぞれだ。筆者が情報社会との関係で特に興味深く感じている点を挙げてみたい。
「生活の豊かさ」と情報社会
まずは「豊かさに関する意識」である。今後の生活で重視するのは「心の豊かさ」か「物質的な豊かさ」かという問いで、最新の調査結果では心の豊かさを挙げる人が約6割に対して、物の豊かさを重視する人は約3割だった。
実は双方の割合は、統計を取り始めた1970年代にはほぼ均衡していた。その後1980年代に入り人々の関心は物より心に向かっていった。物の豊かさは1990年代に入って低下が止まり、その後は割前後の比率で推移している。心の豊かさは割合を高め続けてきたが、1990年代以降は増加率がかなり鈍くなってきている。
1990年代には情報社会という概念は既にあったが、現在のようにインターネットを使って誰もが情報発信できるデジタル型情報社会という観点では、パソコン通信などのサービスがようやく普及し始めた黎明期であった。
情報社会の黎明期には、人々は情報を求める前に情報機器を求めた。それはパソコンから携帯電話、ゲーム機、デジタルテレビなどへ姿を変えてきた。それにより人々が得られる情報が広がり、ひいては心の豊かさにつながってきているのだ。そうしたことがなければ、物より心の流れはもう少し直線的に推移していただろう。
問題になるのはこれからの時代である。パソコンや情報端末については既に普及が飽和状態に近づいている。多くの企業が表明しているように、これからは情報そのものをさらに活用する時代になる。物の豊かさは再び下降に向かい、心の豊かさを求める割合がさらに上昇するのだろうか?
この点は情報社会の発展イメージと関係してくることになるが、同調査のほかの項目との関連性で考えてみることで、興味深い方向性が見えてくる。
プロフィール
成川泰教(なりかわ やすのり)
1964年和歌山県生まれ。88年NEC入社。経営企画部門を中心にさまざまな業務に従事し、2004年より現職。デバイスからソフトウェア、サービスに至る幅広いIT市場動向の分析を手掛けている。趣味は音楽、インターネット、散歩。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- 携帯電話市場の曲がり角――「官製不況」だけで片付けられない落ち込み
日本の携帯電話市場は大きな曲がり角を迎えている。販売制度の変更が大きな要因とされているが、そこをさらに掘り下げてみると、携帯電話市場が差し掛かっている大きな「潮目」がおぼろげながら見えてくる。 - ゲーム機が突入する「端末プラットフォーム戦争」
DSやWiiが原点に立ち返って追求した、現代人にも共通する普遍的な娯楽の本質に相当するものを、PS3は別の視点から追求しようとしている。 - 情報社会におけるオリンピックを考える
今回の北京五輪の開会式を見ていると、世界経済の主導力が先進国から中国に代表される新興国に移行しつつあることが強く印象づけられた。それにしても、五輪大会におけるIT活用は、もっと活発化させるべきではないだろうか。 - 「ネット法規制」と惨劇の間で――情報社会における人間形成
インターネットを舞台に発生しているといわれる問題の本質は、インターネットそのものにあるのではなく、それを使う現代の人間や社会にある。 - マドンナの新しい契約の意味――希少性や体験性に価値
音楽のビジネスモデルの大きな変化は、音楽以外のさまざまなメディアやサービスのビジネスに何を示唆しているのだろう。