見えない日本の将来:藤田正美の「まるごとオブザーバー」(1/2 ページ)
日本の産業が抱える過剰設備を調整し、余剰人員の適切な配置転換が終わらない限り、日本経済の本格的な回復はない。
自民党の古賀誠選挙対策委員長が宮崎県の東国原英夫知事に次期総選挙への出馬を要請。そこまでは普通の話だが、知事が自分を自民党総裁候補にすることを条件にしてから、自民党内からの反発やら古賀委員長の辞任論やら話がどんどん広がっている。
自民党が「時の人気者」を見境もなく連れてきては候補にするのは別に珍しいことではないのだから、そう大騒ぎすることもなさそうだが、いきなり「総裁候補」と言われて神経回路が切れてしまったのかもしれない。「たかが」県知事にナメられたものだということなのだろうが、それほど現在の政治が金属疲労を起こしていることの表れと考えれば納得できる。
もっと問題なのは、壊れているのは日本の政治だけではないということだ。2008年第4四半期、2009年第1四半期と年率でふた桁マイナス成長という異常事態が続いたものの、景気がどうやら底を打ったという一種の「安堵感」が生まれている。景気が底を打ったのは、企業の在庫調整が一段落したからであって、需要が回復したからではない。そして一番問題なのは、需要が元に戻ることはあり得ないということである。
日本の場合、この景気後退は「構造的」なものであって「循環的」なものではないのである。このことを示すのが自動車産業だ。自動車の国内市場のピークは1990年、販売台数は約780万台だった。しかし最近は500万台前後である。景気循環で需要が低迷しているわけではない。実際、いざなぎ景気を超える長期の景気拡大期ですら、販売は増えていない。
そうなると日本で生産できる自動車の数は限られる。1000万台もの自動車を日本で生産すれば、500万台を輸出するということになるが、それはもはや許されない。例えば最大の輸入国であった米国でも、国内の景気を考えれば、国内で生産した車(米企業か外国起業家は問題ではない)を買いたいのは当たり前の話だ。
日本の産業の構造的な問題
要するに、日本の自動車産業は過剰設備を抱えているわけだ。そうするとこの設備が廃棄される、すなわち工場が閉鎖され、従業員が解雇されるまでは生産設備の調整は終わらないということになる。その自動車が抱える過剰人員をどの産業が吸収するのか。そこがこれからの大問題なのである。
こうした人員が吸収されない限り、日本経済の本格回復はない。ということは、例えば、自動車に代わる新しい産業が必要だということである。さらに人口が減るという大問題もある。人口が増えていれば、GDP(国内総生産)はいわば自動的に増える。消費がその分増えるからである。しかし日本は人口が減り始めているのに、政府はその問題に何も手をつけていない。政府が手をつけていないばかりか、国民の間には人口が減っていることについて何の危機感もない。
もちろん人口が減っていても多少の経済成長を達成することは可能だとは思う。国民一人一人が毎年の消費額を3%ずつ増やせば、全体のGDPも2%ぐらいは押し上げられるかもしれない。しかし先が見通せず、年金もどうなるか不透明な中で、国民が毎年消費を増やすということを期待するほうが無理というものだ。
一時、1.28という水準まで下がっていた出生率はこのところ上昇傾向にあるとはいえ、2を超えなければ人口は維持できない。「自力」で人口を維持できる見込みは、まったくない。それを前提に、日本の経済を成長させるということになると、発想をまったく転換するか、あるいは移民を認めるかということになる。
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