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MBAに対するこだわりを捨て、大胆な改革を断行した「タクシー王子」(1/2 ページ)

マッキンゼー流のビジネス戦略が通用しない!? 創業者一族として日本交通に入社した川鍋一朗・現社長はMBAを武器に経営改革を試みるも、自らつくった子会社を大赤字に。考え方を改めて再び改革に乗り出す。

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日本交通・川鍋一朗社長
日本交通・川鍋一朗社長

 2002年2月に施行された「改正道路運送法」によって、事業所の車庫の確保など一定の条件さえ満たされていれば、タクシー業界における新規参入および増車が原則自由となった。このタクシーの規制緩和は競争の激化を招き、乗務員の収入減や長時間労働などの弊害をもたらすこととなった。加えて、タクシー会社の倒産も加速する。東京商工リサーチの調査によると、2002年2月以降の倒産は、それ以前の倒産数と比較すると年度ベースで2〜3倍になっている。

 まさに各社が生き残りを賭けてしのぎを削る最中の2005年8月、日本交通の創業者三代目として川鍋一朗氏が社長に就任した。業界最年少の34歳での就任ということで世間からの注目を集め、「タクシー王子」という愛称でも話題となった。同氏は1993年に慶應義塾大学経済学部を卒業し渡米。ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院でMBAを取得後、1997年にマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社する。2000年から日本交通で経営に参画している。

1900億円の負債を抱える赤字会社

 創業者一族として入社して以来、取締役、専務、副社長という階段を上ってきた川鍋氏だが、決してその道のりは順風満帆なものではなかった。日本交通は東京都を中心に事業展開する日本最大の売り上げ規模を誇るハイヤー・タクシー会社であるが、川鍋氏が入社した2000年当時は、ゴルフ場やホテル、レストランなど本業以外の子会社 約30社が赤字を垂れ流しており、実に1900億円の負債を抱えていた。にもかかわらず、経営陣に危機感はまったくなかったという。

 川鍋氏は、マッキンゼーで培ったビジネス戦略を武器に経営陣にはたらきかけるも相手にされず、ついには自らタクシー子会社を設立するも、毎月のように赤字を生み出し数年で日本交通に吸収されてしまう。MBAという肩書きに対するこだわりを捨てた川鍋氏は現場に入り込み社員の声に耳を傾けることで次第に信頼を得ていった。

 その後、ゴルフ場やホテルなどの資産はすべて売却したほか、100人規模の従業員のリストラを敢行、赤坂にあった本社を品川の貨物倉庫に移転するなど、大胆な経営改革を推し進めて負債を減らしていったのである。

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