「従来型の企業宣伝から脱皮するチャンス」――花王 本間Web技術室室長:石黒不二代の「ビジネス革新のヒントをつかめ」(1/3 ページ)
50年にわたる広告代理店の歴史を作ってきた名物宣伝部長たちの定年退職によって世代交代が始まる今こそ、企業のマーケティングが変化を遂げる絶好のチャンスです。
米国では「マーケティングがやりたいならコンシューマーパッケージグッズの会社に行け!」というほど。日本では花王がその代表格として挙げられるでしょう。それに加えて、マーケティング分野で花王をさらに有名にしたのは、インターネットへの取り組みです。
今回のインタビューでは、花王のインターネット活用のけん引者でありエバンジャリストであるWeb制作部Web技術室の室長、本間充さんにお話を伺いました。
Webサイトの変遷
本間さんは1994年に花王に入社という、まさにインターネット商用化の年にキャリアをスタートしました。入社後、2、3年してインターネットによるビジネスが本格化するときに担当となりました。37歳で同社のWebマスターになったのですが、役員からは本間さんの上司である部長をよく替える社員だと言われたそうです。
というのも、本間さんはプロジェクトの説明と判断をあおぐために直接取締役と話してきました。通常の業務であれば、40代→50代→60代と、経験と知識と判断がバトンタッチされるものですが、インターネットに至っては90年代半ばからその重要性が認識されたため経験値が伝達されていません。だから、当時の50代はそれを決済する知識を持ち合わせていません。責任を負っている役員と直接対話する方が良識ある判断ができます。この大胆さが、業界において花王をインターネットに精通する会社に仕立て上げたのでしょう。
花王でも、世の中の流れと同様に、インターネット第一世代が94年に始まり、Webサイトをつくること自体が目的化していたといいます。本間さんが配置された97年は、競合に比べて自社サイトがどうあるべきかを考えた年でした。実は翌年までは、顧客視点ではない、会社パンフレットの焼き直しのようなサイトでしたが、99年から2000年にかけて環境の変化が起こります。マイクロソフトのOS「Windows 95」とブロードバンドが普及するのです。これが、会社としての広報色を薄め、インターネットがマーケティング目線になっていくきっかけとなりました。
2000年以降は、顧客に主眼を置いています。これまでの広報=会社としての面子から、マーケティングへのしのぎ合いの時期を経て、完全にマーケティングに変遷していきました。
ネットイヤーグループでは、あらゆる業態の顧客の仕事を請けていますが、花王ほどのスピード感はなくても、この変遷のプロセスはほぼ同じです。パンフレットから、会社の顔としてのWeb、そしてマーケティングツールとしてのWebへの変遷です。
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