検索
ニュース

名もなきもの、新しきもの、幼きものにチャンスを与えたいエンジェルの野望、目利きの役割(2/2 ページ)

新参者にチャンスを与えない社会、アートを手軽に消費する文化。矮小化する日本を救う手立てはあるのか。

PC用表示 関連情報
Share
Tweet
LINE
Hatena
前のページへ |       

名もなきもの、新しきもの、幼きものがつぶされる社会


加藤順彦 ポール 未来予想株式会社 取締役 有限会社日広(現GMO NIKKO株式会社)を創業。2008年シンガポールへ移住。個人エンジェルとして日本国内外の多くのスタートアップベンチャーを支援する。

 現在44歳の加藤さんは、25歳で広告代理店を創業。ダイヤルQ2からネット広告の世界を渡り歩き、コマンドーのように生きてきたという。「一発当てる」という激しい競争の中、上場を目指したり、破滅に向かったり、刹那的な生き方をする人も周囲に多かった。

 「ぼくは流行に向かって突っ走ってきました。勝てる人はごくわずか。基本的に多くは負ける。1万人いたら9999人が負け。それでも1人でも勝てる人がいるからこそ、皆その人を目指すようになります」(加藤)

 だが、今の日本には希望がなくなった、と加藤さんは嘆く。

 加藤さんが希望がないと思う点は3つある。1つ目は日本人が内向きになっていること、2つ目は多様性を認めない文化、そして3つ目はチャンスがないことだ。

 「米国で、あるネット企業のイベントに行ったときのことです。2005年ころまではネットに関与する企業はアメリカ、ヨーロッパの数カ国と日本だけで、参加者は100人程度しかいませんでした。ところが2006年ころから参加者が増えて、32カ国、400名規模に。まずいなと思ったのは、それらの国の人たちが積極的に学びコミュニケーションしようとしている中で、日本人だけが同時通訳で話を聞き、夜のパーティーでも日本人同士でつるんでアメーバのように壁にはりついていたこと。世界とかかわろうとするメンタリティーがない。内向きになり、萎縮(いしゅく)している、と感じました」(加藤)

 多様性を認めない文化の問題はさらに深刻だ。加藤さんは現在シンガポールで活動している。できることならば日本でやりたい、でも今はできない。

 「世界は小さくなりつつあり、『みんな違いがある』という前提からスタートするのに、日本人は『みんな同じでなくてはならない』と思っている。日本には多様性を受け入れる観念がないんです。技能ある外国人も日本にはいられません。所得税は高すぎますし、日本語を話せない人への差別も根強く、異端児になってしまいます」(加藤)

 チャンスの不在に至っては、絶望的だ。日本は数年前から経済が悪い方向に進んでいると加藤さんはいう。加藤さんが経営していた広告会社では実際に、クライアントが業種ごと「消失する」体験をしたという。貸金業者は長年放置されていたグレーゾーン金利が違法とされ、過去に遡って返済を義務づけられた。広告主だった外資は事業を撤退、国内大手は大手銀行への買収を与儀なくされた。姉歯事件以降は建築確認が軒並み出なくなり、新興のマンションデベロッパーは壊滅した。ネット業界は、2001年のネットバブルが崩壊しても伸びていたが、2006年のライブドア事件後は一気に信用収縮が起き、広告予算が消滅した。

 「それまでのベンチャーはまだよかった。デスマッチでも1人くらい勝てる人がいた。だけどもう、その1人ですらつぶされる世の中です。楽天はTBS株を後もう少しというところまで集めたのに、法律を変えてまで阻止された。既得権益層が直面した内需収縮や不景気という現実に際して、名もなきもの、新しきもの、幼きものの成長の芽が最初に摘まれたのです。日本はそんな国になってしまいました」(加藤)

 そこで加藤さんはシンガポールに拠点を移した。芽を摘まれそうになっている若い人にも、アジアに視座を広げればチャンスがあるということを知らせるため、若い人でも、大きな夢を見られる環境があることを伝えるために。

 日本人はもっと外に出るべきだという加藤さんの主張に、福田さんも同意する。思い返せば、今までのメディア戦略は家から出なくてもいいようにするものが多かった。インベーダーゲームがファミコンになり、映画がビデオになったように。

 「かつて上司に『レンタルビデオなんてダメだ。雨が降っても返しにいかなくちゃならないなんてユーザーには面倒なはずだ』と言われ、反抗したことがありました。『ビデオを返しに外に出れば、ついでにマンガの立ち読みができるし、女の子に出会うかもしれないじゃないですか。そういう外の楽しみがあるから若者は外に出たいんです!』って」(福田)

 加藤さんのもう1つの考えは、ロールモデルを作ること。若い人がこうなりたいと思える目標を作ろうということだ。

 「若い人が夢を見られるような社会であってほしい。日本には海外で起業して有名になったひとはまだ1人もいないけれど、1人でも出現すれば違うと思います。分かりやすいヒーローを作る。それが第一段階なんです。ぼくは中学2年生のとき松下幸之助さんにあこがれ、経営者になりたいと思いました。今の中学生にそう思わせるような人がいれば、未来は変わります」

 高校時代、水泳部の副将だった加藤さんは、部員たちの後ろで竹刀を振り回して鼓舞することが役割だったという。「水泳なんて究極の個人競技。でも、1人の非凡を県大会に出場させるためには9人の普通の人の後押しが必要です。ぼくの役割は普通の人たちに部活を続けさせることでした。でも今の社会は10割が普通です。1人の天才を出そうというムードすらない。一握りでもいい、クレイジーで飛び抜けた人を出してスターにしよう! すると、それを目指して次のスターが生まれる。これを続けていけば、ムーヴメントになると思うんです」(加藤)。「分かりやすい! 異議なし!」(福田)

すべての人にチャンスがある時代

 加藤さんは、投資先を選ぶ基準の1つとして「若さ」を挙げる。若い人には世の中を面白く変えられる可能性があると信じているからだ。そして、何よりも大切にしているのは、若い人、クレイジーな人がその先にみている動機だという。「なぜ事業を起こしたいのか、事業を通じてどんなことを実現したいのか、その事業はどんな問題を解決するのか」をいつも訊いているという。「内容次第では、Duckbill Entatainmentのような、若くない(加藤さんよりも年上の)人が営む事業に、参加することもあります」(加藤)

 対する福田さんは、街を行くすべての面白そうな人にチャンスを与えたいという。「デジタルの会社をやっていてよかったと思えることは、今なら誰にでもチャンスを与えられるということです。例えば、フォトグラファーの浅田政志さんは今や売れっ子ですが、最初はスナックの2階みたいなところで展示会やってて、その後、携帯配信から書籍化して、写真界の芥川賞と言われる木村伊兵衛賞を受賞しました。ぼくはこういった人たちにチャンスを与えられるように、目利きとしてできる限りあがいていきたいです」(福田)


ヒーローの誕生を全力で支援する加藤さんと、目利きとして正しい才能にチャンスを与える福田さん。いつか一緒に世界旅行することを誓い、握手しあった。

関連キーワード

日本 | 社会 | 流行 | 広告業界 | 文化 | 企業 | シンガポール


前のページへ |       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る