待ちの姿勢ではない球団経営を 横浜DeNAベイスターズ・池田社長:2012年 それぞれの「スタート」(3/3 ページ)
日本のプロ野球界において、7年ぶりに新球団が誕生した。経営面でその舵取りをする横浜DeNAベイスターズの池田純社長が語る未来図とは――。
横浜には独特の“空気”がある
――球団社長には立候補したと伺いました。
池田 経緯を説明すると、DeNAのマーケティング全体を統括していた私にとって、ベイスターズはマーケティングの観点から大きな期待を持っていました。10月ごろ、守安(功、DeNA社長)と球団に関する話をしていたときに、「ベイスターズに関する権限をください」と告げました。それと同時並行で、春田と守安が「社長は池田がいいのではないか」となっていたようで、権限の一番分かりやすいカタチとして、社長就任となりました。
――自ら手を挙げた背景には、綿密な考えがあったのでしょうか。
池田 私は悩みぬいて物事を決めるタイプではありません。これまでの経験を基に迅速に判断します。さまざまな場面で意思決定の正しさとスピードを大切にしています。直感ではなく、基本的には今までの経験に培われたもので意思決定します。
今回のケースでは、これまで野球のビジネスに携わったことがなかったので、今まで毛色のまったく違う分野での幾つもの経験から必ずできるはずだという漠然とした思いはありましたが、私自身が横浜で生まれ育ったということが何よりも大きな理由です。考え抜いてどうこうというものではなく、一言でいうと直感による立候補です。
横浜という土地は、そこに住んでいる人でないと分からない独特のニュアンスや空気感があると私は思っています。「3日住めばハマッ子」という言葉がありますが、そうは言っても土地土地には、簡単には理解できない、固有の“空気”が存在すると思っています。ベイスターズの仕事はこのちょっとした空気を大切に感じながらやらなくては人々の気持ちをとらえることができないものです。私は横浜で生まれ、横浜で育ったため、この点については多少なりとも自信がありました。
――DeNAベイスターズという球団は経営面だけでなく、チーム面の課題も山積です。社長としてどのようにかかわっていきますか。
池田 DeNAベイスターズには若くて力を秘めた選手が多いと思っています。そういった力を生かすためにも明るく元気なチームになってもらいたいです。球団の経営がしっかり健全になされているとチームにいい影響が出ると考えていますし、チームとフロントが一体となった球団を目指したいと思っています。
そこで、監督、GM(ゼネラルマネジャー)、選手やコーチから球団の各セクションの職員やスタッフまで、広くコミュニケーションをとることが大切だと思っています。チームに関することはGMにお任せしていきますが、チームは選手のことを少しでも多く理解しようとこちらから歩み寄って、さまざまな共通言語を持って話ができるようにはなりたいと思っています。一方で、ただ話ができるだけでは社長としての意味はないので、彼らが気付いていないような角度やものの見方から有益なアイデアや示唆を出せるかどうかが重要だと考えています。
選手たちとのコミュニケーションにおいても、積極的に、球団経営などの考え方を伝えるようにしています。これから始まるキャンプなどでも、野球の邪魔だと思われないように有益なカタチでそれらをよりしっかりと行っていきます。
年俸についても、今までは数字で評価する部分と、数字では評価できない部分が混ぜこぜになって決まっていた印象は拭えません。そういった部分も当然あり続ける世界だと思っていますが、私としては、シーズンで大きな結果を出した選手に対しては大きな額を払いたいし、結果を残せなかった選手はそれなりの評価であって然るべきだととらえています。そうした基本的な考え方をチームによりいっそう徹底していきたいです。基本的な考え方が共有されることによってさまざまな変化が生ずると考えています。
――チームに対する提言はありますか。
池田 1つ1つの勝負に真剣で勝ちにこだわり、一方でファンと地域とスポンサーを強く意識し、シーズンを通して強くて熱いハートを持ち続ける、明るく元気なチームにもっとなってもらいたいし、そうしたいと思っています。
一方で、球団側も同じ意気込みを持ち、よい方向に変わり続けていくことに貪欲なチームと球団に進化するように魂を植え付けていくのが私の役目だと考えています。
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