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「絶望」を乗り越え、ゼロから世界に誇れる町を創る――陸前高田市・戸羽市長2012年 それぞれの「スタート」(2/3 ページ)

岩手県陸前高田市――東日本大震災と津波による甚大な被害を受けた同地も新年を迎えた。あの日から10カ月が経過したが、市街地にはいまだに大量のガレキが残り、市民の雇用や医療など課題も多い。同市の戸羽太市長に、陸前高田の“今”と復興に向けた思いを聞いた。

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――市内に雇用の場がほとんどないという状況でしょうか。

戸羽市長 全くないということはありません。例えば建設関係の仕事はありますし、職種を選ばなければある程度の雇用はあります。しかし、例えば力仕事ができない人など、ミスマッチが当然発生してしまっています。

 今後は水産加工業者やワタミグループの協力などによって、雇用の数自体はそれなりに確保できる見通しがあります。しかし、市民が自由に職種を選べない状況はしばらく続くと思います。そこでわたしが市長としてやらなくてはいけないと思っているのは、ここ2〜3年のうちにいくつか仕事を選べる環境を作っていくということです。

 陸前高田市は被災する以前から雇用の場が少なく、進学のために市外に出て行った若者が地元に帰りたいと思っても働くことが難しいという状況がありました。また、例えばIT関係の仕事をしたいという若者がいても、地元に残るためには水産加工などの仕事を選ばざるをえませんでした。それを今後は、IT関係の企業に直接就職できるようにするのは難しいとしても、ITのスキルを社内で生かせるような就業先を用意する程度まで、雇用を拡大していきたいと思っています。

 ただ、市内には高齢のために仕事どころではない人も多い。そうすると、今度は福祉や医療が大事になってきます。なので「ここだけに力を入れればいい」ということにはならないのが難しいところです。町を持続するためには若い人たちの要望をくみ取り、彼らが住みやすい環境を作らないといけません。一方で、高齢者の方々をどうケアしていくかという問題も見過ごせない。その両方を、バランスよくやっていかないとならないわけです。

「町全体がなくなってしまった」からこそできること

――今後、市をどのように再建していくのでしょうか。

戸羽市長 陸前高田市は、津波によって町全体がなくなってしまいました。そこで今後、これだけはやらないといけないと思っているのが、障害者や高齢者、特に障害者の人々が家にひきこもらずに外に出られる環境を作っていくということです。

 なかなかこれは通じにくいのですが、わたしは陸前高田市から「ノーマライゼーション」という言葉をなくしたいと思っています。ノーマライゼーションというのは「障害がある人もない人も変わらない」という考え方ですが、その言葉自体が差別だと思うのです。そこで、復興後の陸前高田市はノーマライゼーションという言葉がなくなるくらい、誰もが同じように暮らせるのが“当たり前”の町にしていきたいと考えています。

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県立高田病院も津波によって大きく損壊した

 これは町が全て津波で流されて、公共施設も商店街も全部ゼロから作らないといけない陸前高田市だからこそできることです。例えば、もともとある建物を直すのであれば、車いすの人でも使えるようにトイレや玄関を直したりするたびに補助金が必要になってしまう。それが今、建物を作る際に初めからバリアフリーの構造にするということを市の商工会とも合意できていますし、病院関係者などにも「ぜひいっしょにやりましょう」と言ってもらえています。

 陸前高田市の復興計画の3本柱のうちの1つに「世界に誇れる美しい町の創造」というものがあります。それは、見た目の美しさももちろん大事ですが、どんな障害があってもどこの国の人であっても「みんなどんどん来てください」と言えるような、心の美しい町にしていこうということです。例えば、けがや病気をしてしまって旅行に行けない人でも陸前高田市だったら大丈夫ということになれば、まさに世界に誇れる町になりますよね。

 こうして魅力ある町にしていかないと、たくさんのお金を使って全国の皆さんに応援していただいていることに応えられないわけです。特に今回、市民も市の職員もたくさんの人々が亡くなりました。彼らはみんな絶対悔しい思いで亡くなっていったはずなので、その気持ちにもしっかり応えないといけないと思っています。

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