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ネット証券業界を先導し続けてきた革新者――松井証券 松井社長ビジネスイノベーターの群像(2/2 ページ)

今では一般的になったオンライン株取引だが、90年代後半、オンライン取引への特化を他社に先駆けて断行し、ネット証券業界を牽引してきたのが松井証券の松井道夫社長である。婿養子として四代目社長に就任以降、バブル崩壊に続いた金融自由化という経営環境の激変にいち早く適応するべく大胆に事業の刷新と創造を続けてきた。

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眠れる個人資産を開拓する

 松井証券では昨年10月から日本で初めて新たな資金を用意することなく、1日に何回も信用取引でデイトレードを繰り返すことができる「即時決済信用取引」を開始した。

 「金利は頂戴するが、手数料はゼロに設定している。いわば手数料競争終結宣言である。これにより不毛なデイトレーダー争奪戦を終わらせたい。日本では個人金融資産1400兆円の大半が預金で眠っており日本株には50兆円しか投資されていない。オンライン取引が本格化した過去10年間でも大きな変化はなかった。今こそ、個人投資家が市場のメインプレーヤーとなるべく、多様な個人投資家層創りという本質的な競争に移行することが必要となっている。そのためにもデイトレーダー争奪戦に堕した現在の競争ステージを終わらせることが何より重要だ。」(松井氏)

儲けだけを求めてもイノベーションは生まれない

 常に時代の先を読み、新しい発想で業界を革新してきた松井氏。イノベーションの前に必要なのは、見切りだという。松井証券にも、80年近く続けてきた外交セールスを廃止するという見切りが重要な転機となった。

 「同じネット証券といっても、そこに辿り着いた経緯とその意味が分かっていない業者は多い。単に人のアイディアをまねしているだけなので、本質を誤解する。経営には、時代の変わり目に柔軟に対応できる感性が重要だ。それがなければ長続きはしない。成功例をまねているだけでは変化対応力が付かないし、新しいビジネスモデルなど生み出せない。それを生み出すためには、目の前のビジネスを見切ることが必要になってくる。」(松井氏)

 次々と過激かつ挑発的な言葉が飛び出す松井氏の目線は、常に本質を追求する。今、最も意識するのは、井原西鶴の「日本永代蔵」にある「始末(倹約)十両、儲け百両、見切り千両、無欲万両」という言葉だ。

 「利益の追求だけを目的にした途端に、とても小さな話になってしまう。経営者として時代の変化に対応する上で大切なのは“見切る”ことだと思っている。これまでの20年近い社長業のなかでも、見切って、見切って、見切ってきた。過去の社長としての決断で正しかったものは、見切る決断であった。ただ、それ以上のものがある。“無欲”であることだ。個人的には“無欲”とは“大義”と解釈している。大義とは社会的意義が全てに優先するということだ。イノベーションもその文脈でなければ意味を成さない。ザッカーバーグは儲けを企んでFacebookを創ったのではない。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズだって同じ。人真似して儲けを追求する人を商人(あきんど)とは呼ばない。そんなことで商人面したら西鶴に笑われる。」(松井氏)

 社長業が天職のような松井氏だが、学生時代は画家志望で銭湯壁画の富士山を描きたかったという。

 「経営とアートは似ていると思う。どちらも試行錯誤しながら自分が納得できるものに仕上げていく。」(松井氏)

 社長応接室の壁には松井氏が自ら描いたベネチアを思わせる油彩がある。空の色だけでも100回は塗り直したというその油彩に、松井氏の経営哲学が垣間見られる。

プロフィール:松井証券社長 松井道夫(まつい みちお)氏

1953年、長野県生まれ。一橋大学経済学部卒業後、76年4月、日本郵船株式会社入社。87年4月、松井証券に入社、95年6月、代表取締役社長就任。96年に株式保護預かり料の無料化、翌年には店頭登録株式の委託手数料の半額化を実施するなど、他社に先駆けて業界の常識を覆す数々の施策を断行する。98年5月、日本初の本格的なインターネット取引を開始。2001年8月、東証一部に直接上場。その後も様々な革新的なサービスを発表し、業界の革命児と称される。


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