経営者たちの倫理意識欠如、経営知識不足、不勉強さ加減などについて、ここにいちいち取り上げるまでもなく目に余るものがあり、我慢の域を脱した。もはや、黙って見ていられない。
これほどひどいなら、経営者も医師や弁護士、会計士のように国家試験などによる免許制にしなければならないと思う。そうしないと、無能で不届きな経営者たちによって、企業も日本経済も将来メチャクチャにされかねない、少なくとも発展が望めない。
もっとも、医師や弁護士など国家免許所有者にもあちこちで倫理違反や本来任務不履行が出てくるご時世だが、まあ歯止めにはなるだろう。
経営者を希望する者をまず厳しく選抜する、そして選抜された者にビジネススクールなどの教育施設で経営知識と倫理意識を徹底的に叩き込む。実地訓練が必要なら企業での実習や演習も課す。そして国家試験で資格認定を行う。その後必要に応じて経営実習や再教育プログラムを設定し、フォローアップを義務付ける。
一方、経営者で医師や弁護士のような職業団体を形成し、職業団体は構成員に対して継続的なトレーニングや倫理基準の徹底を図り、この趣旨に反するものを排除する。こういう活動を通じて、経営者及び経営者の職業団体は社会の信頼を得ることができ、健全で確固たる経営を執行できる。
免許制、これをプロフェッショナルの仕事と称するなら、医師や弁護士らはプロフェッショナルたり得るが、経営者はプロフェッショナルとして適していないという説があれば、適しているという説もあり、中間説もある。
反対論者の1人リチャード・バーカーの意見(注)を紹介し、それに反論を試みながら、経営者が十分プロフェッショナルたり得ることを、以下主張していく。(注:Richard Barker ケンブリッジ大学教授、「Diamond Harvard Business Review」March 2011より引用)
1、プロフェッショナルとは何かという視点から
(1)いかなる職業団体も機能するためには、その分野固有の専門知識を定義し、対象範囲の境界線を定め、業界内できちんとコンセンサスが取れていなければならない。例えば、人体の働きについて医師の意見が一致していないという状況で、専門知識とはいえない。マネジメントには、専門知識にも対象範囲の境界線にもコンセンサスがない。経営者の職業団体には、資格認定も統制権も倫理基準も排除権もない。
→【反論】専門知識は1つでなくてもよい。複数存在して、その選択肢の中から状況に応じて選択適用することは、専門知識として全く問題ない。境界線は状況に応じて定めることは可能である。経営者団体に諸権限がないのは、今設定していないからだけに過ぎない。
(2)さらに、例えば弁護士は契約書作成、費用請求で仕事は終わるが、マネジャーの仕事に終わりはない。
→【反論】マネジャーの仕事にも、一応の終わりはある。長期であるだけに過ぎない。医師の仕事についても、そういう場合がある。
(3)医師免許を持たない者の脳外科手術は社会が許さないが、経営に携わる者にMBAが不可欠と真顔でいう者などいない。
→【反論】今、経営者にMBAが不可欠になっていないからに過ぎない。
(4)マネジメント教育は個人能力向上に役立つが、専門家としてのノウハウを保障しない。マネジャーの役割が、幅広く多彩で定義できないからである。
→【反論】例えば医師についても、ノウハウを経験から身につける場合があり、同じように否定的なことをいおうとすればいえる。マネジメント教育は、ノウハウの基礎を保障できる。むしろ、教育を受けない、あるいは不勉強な経営者だから、ノウハウの基礎を身につけることができず、経験によるノウハウの積み重ねができない。幅広く多彩でも、ドラッカーなどは明確に定義している。
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