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“許す”ということ田中淳子のあっぱれ上司!(2/3 ページ)

若いころは誰でも、いろいろな失敗をしたはずだ。その失敗を乗り越え(過去の自分に比べれば)知識も経験もついて失敗しなくなったのは、誰のおかげなのだろうか?

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 もちろん自分で精いっぱい努力して、今の状態を獲得したことが1番大きい。けれども忘れてはならないことがもう1つある。それは“許してくれた他者の存在”である。

 例えば、大失敗した、顧客に大迷惑をかけた、同僚に尻拭いしてもらった。それでも次のチャンスを与えられ、少しずつ成功するようになり、知識だけでなく仕事の能力を今の状態まで上げられたのは、ひとえに誰かが“許してくれた”からである。

 もし許しがなければ、二度とチャンスは与えられなかったかもしれない。何をしても「どうせ、あなたは」といつまでも過去の失敗を引き合いに出されて期待さえしてもらえなかったら、成長する道が閉ざされてしまったことだろう。

 だから“許す”ということは、とてもとても大事なのだ。

反抗期を経て得たチャンス

 私の経験を話そう。

 いち時期、私は社内でグレていた。口を開けば「どうせ」「どうせ」と言い、何をするにも「上司が悪い」「○○が悪い」と他者のせいにしていた。普通そういうモードは20代で経験するものだと思うが、私は30代で突然ネガティブモードに陥ってしまった。

 そうなった事情や背景はたくさんあった。詳細は省くけれど、とにかく「どうせ私がこれをやったからって、何も変わらないし」「上司がちゃんと把握していないから、こんなことになるんだ」と周囲の環境や上司のせいにばかりして、与えられたミッションのギリギリしか遂行しないということが数カ月続いた。

 そんな状態なので、上司やその上司からしょっちゅう呼び出しを受けて、叱咤、叱責された。「あなたのような評論家はうちの会社には要らない」と言われたことすらある。「うちの部署」ではなく、「うちの会社」に要らないとまで言われたわけだ。これにはさすがに焦り、いろいろと深く考えた。

 ある日、そのネガティブモードから抜け出すことができた。どうやって抜け出たのか具体的な出来事は思い出せないのだが、自分を取り巻く外部要因について「ま、いいか」と思えた瞬間があったことは記憶している。

 そこからネガティブな発言が減った。与えられたぎりぎりのことしかしないという状態から、前向きに、かつ積極的に動くモードにも切り替わった。おそらく表情や態度が他者から見ても、劇的に変化したのではないかと思う。

 そんなある日、「あなたなんか要らない」といった上司の上司から呼び出された。「淳子さんに挑戦させたい仕事がある」と。

 その仕事は以前からずっとやってみたかったものだったので、「ぜひ挑戦したい!」と即答して取り組むことになった。数カ月必死で取り組み、仕事はうまくいき、結果が評価された。自分でも「ああ、私は何か壁を乗り越え、一皮も二皮も剥けたのだ」と思えた。

 それからさらに半年もたったころだろうか。仕事を紹介してくれた上司の上司に、「なぜ、あの仕事に挑戦するよう、他の誰でもなく“私”に言ってくださったのですか?」と尋ねたら、こう言われた。

 「淳子さん、ずーっと不貞腐れてダメダメだったでしょう? でも、何か吹っ切れたみたいに前向きになって、周囲に悪い影響を与えないようになった、というかちゃんとしてきたよね。以前の淳子さんにだったらこの話は持ってこなかったけれど、今なら挑戦させてもいいかな、と思ったから」

 私は過去の「不良化していた自分」を許してもらったのだ。そして新しい仕事に挑戦し、その仕事が楽しくなった。

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