「出現する未来」を実現する7つのステップ ――「ダウンローディング」(後編):U理論が導くイノベーションへの道(1/2 ページ)
思い込みや、過去の経験をいったん横において、評価、判断、結論や決めつけをいったん保留し、着地できない居心地の悪さに身を置き続けてみてほしい。
「過去の経験によって培われた枠組みを再現することは確かに、真新しくないかもしれない。しかし、なぜ、この状態がイノベーションにつながらないと言い切れるのか?」と疑問を抱く人もいるかもしれません。
さらに、「過去の枠組みを再現するものであったとしても、それが優れたものであれば、優れた結果を残すのではないか? 経験の全くない名経営者なんていないだろうし、優れた意志決定として即断即決するためには、そうした過去の経験によって裏打ちされた見識も必要だ。経営だけにとどまらず、スポーツの世界や芸術の世界でも、超一流の人達はみな、反復を大切にするではないか?」という反論を述べたくなる人がいてもおかしくないと思います。
「ダウンローディング」の弊害
実は、ここに「ダウンローディング」が示す深い意味合いが隠されています。
「過去の経験によって培われた枠組みを再現する」状態をさらに、厳密に説明するとすれば、その「枠組み」に意識の矛先が向けられている状態、すなわち、その「枠組み」に囚われている状態であるといえます。
例えば、知人の結婚式でのスピーチや、重役の前でプレゼンをする時など、上手く話そうとしても緊張して、しどろもどろになった経験や、締め切りが迫っているにも関わらず、煮詰まってしまい、普段よりも思考レベルが下がってしまってどうにも手に負えなくなるといった状況、もしくは、売り言葉に買い言葉でカッとなって思ってもいないことまで口走ってしまい、後悔したといった経験は誰にでもあるのではないでしょうか。
それらは全て、「自分は人前で話すのが苦手だ」、「ちゃんとやらなければいけない」、「分かってもらえていない」といった過去の枠組みに囚われてしまった結果、生じることといえます。
延々と自分の主張を繰り返す経営者や上司をたまに見ますが、その人は「自分の方が正しい」、「俺の方が上だ」という枠組みに囚われてしまっているケースが多いように思います。つまり、過去の経験によって培われた技能だけを再生している(実際には、創造しているに近いと思います)のであれば、超一流のアスリートのように記録にも、記憶にも残るようなハイパフォーマンスを残すことは可能かもしれません。しかし、実際には、「枠組み」に囚われている状態になってしまうが故に、その優れた技能に曇りが生じることになります。
そうした意識を奪われた状態、すなわち「囚われ」の状態から脱却し、フローやゾーンと呼ばれる状態に至るために、アスリートや、アーティストといった人達はあくなき反復を愚直なまでに行っているといえます。
アスリートや、アーティストにとどまらず、ビジネスパーソンにおいても、過去の枠組みに囚われている状態は、短期的、長期的にパフォーマンスを著しく下げることになりえます。
先ほど例として挙げたようなプレゼンテーションやコミュニケーションの現場で、緊張してしどろもどろになるといった状態であれば、ダウンローディングな状態がハイパフォーマンスにつながらないことは比較的イメージをしやすいかと思います。
それだけでなく、日頃の相談事などでも同じことが言えます。相談を受けた相手は気持ちよく「確固たる持論」を流暢に話しているものの、ダウンローディングであるが故に、狭い枠の中で決めつけられ、話を聞いてもらっていないと感じた体験はありませんか。そのような場合、相手が話せば話すほどモチベーションが下がり、2度と話したくないという心持になったり、積極的に話しかけたいという気分にならなかったりすることが起こります。また相談を受けた側が「これだけ話してやったのに、あいつは全く分かっていない!」と憤慨したところで、残念ながら身から出た錆といわざるを得ません。
実際、わたしがまだ会社勤めをしている時に、年配の事業部長が若い連中を引き連れて飲みに行くと息巻き、その1人として、ついでに直属の部下ではないわたしも声を掛けてもらったことがあります。
飲み会が始まるや、「売上は大事なんだよ! 売上が上がらないと次がないんだぞ!」と熱弁をふるっていました。最初は「熱心だなあ」と思いましたが、1時間もしないうちに、延々その演説が続いていることで、わたしも飽き飽きしてくるのとともに、他の若い連中も「はい、はい。そうですよね。」と表面的な返事や、その意見に合わせるかのような主張を終始していました。
ダウンローディングの特徴としては、その人の「枠組み」を否定しないように、周囲はその「枠組み」に合わせて偽の主張をする、すなわち「イエスマン」と化すという傾向があります。
その飲み会は、まさに「ダウンローディングの祭典」といった様相を呈しており、うなずいてくれる若い連中の姿に気を良くしたのか、ますます高らかにその事業部長は自分の主張を繰り返していましたが、傍から見ると憐れとしかいえない状態になってしまっていました。
少なくとも、直属の部下ではないわたしは、二度とその人と飲みに行こうとは思えなくなり、実際、その後一度も飲みに行くことはありませんでした。また、残念なことにその事業部が好業績をはじき出すといった状態は、その後も生まれることはありませんでした。
ここにダウンローディングの大きな弊害が隠れています。目先の結果が出ているように見えても、隠れ肥満のような長期的な負債や副作用を抱えるというリスクをはらんでいるのです。
経営者の過去の経験がいかに優れていようとも、ダウンローディングなトップダウンを続ければ、異を唱える優秀な社員は早々に辞め、まわりは「イエスマン」ばかりになるか、言われたことしかやらない社員ばかりが蔓延し、過去の枠組みによる「歪んだ」情報収集に基づく意志決定は、5年後、10年後に取り返しのつかない結果となって表出したりします。
経営者でなくとも、「ここぞ」という時に、有力な協力が得られない、何かしらトラブルを抱えてしまう傾向がある人は、ダウンローディングの弊害に見舞われているとみて間違いないでしょう。
ところが、その時、その時では、過去の経験に基づいてベストを尽くしているように当人には思えてしまうために、思うように周囲が応えてくれないことにフラストレーションを感じ、より枠組みに囚われてしまうという負の連鎖が生まれてしまいます。また、それだけでなく、自分がダウンローディングに陥っていると、周囲もダウンローディングに陥るという弊害も隠れています。
先ほどの若い連中に演説を打っていた事業部長と一緒にいる時、私自身「話が長いなあ」、「こっちの話も聞いてくれたらいいのに」とダウンローディングな状態になっていました。まさに、ダウンローディングは感染と似ています。
ここにこそ、オットー博士が土壌にたとえ「社会的な土壌(ソーシャル・フィールド)」と呼んだ理由があります。
自分の内側で起きているだけの話だと思っていた「ダウンローディング」という状態は、その場にいる人たちに次々に感染し、まるで土壌汚染のように社会的な土壌を枯れさせていくのです。
ダウンローディングなスピーチを聞いている時、ついつい眠くなってしまったり、何を話しているのか頭に入らなくなったり、いらいらしてきて、携帯電話をいじってしまうということは誰にでも経験があると思います。そして、そんな聴講者の姿をみて、スピーカーはよりプレッシャーを感じ、ますますテンパッてしまい、見るも無残な講演会となってしまうということはよくある話です。
ダウンローディングは、周囲からの情報を歪んで処理することでその都度、その都度の意志決定の質を下げ、周囲のモチベーションダウンを起こし、周囲からの協力や情報収集の循環が途切れ、自分だけでなく、周囲のインスピレーションを阻害することを引き起こします。
そして、「この会社には先はない」といった枠組みが充満することで、諦めが蔓延し、イノベーションが起こりうる風土自体がなくなっていきます。これらがダウンローディングの影響です。
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