「我が信条」の真の推進者であり続けたい――ジョンソン・エンド・ジョンソン日色社長:ビジネスイノベーターの群像(2/2 ページ)
長引く景気低迷の中にあって、業績が今なお右肩上がりで推移しているジョンソン・エンド・ジョンソン。成長し続ける企業に秘訣はあるのか。
日色社長は2005年に39歳の若さで、ジョンソン・エンド・ジョンソンのグループ企業の1つで、臨床診断試薬・機器等の製造販売と輸出入を行うオーソ・クリニカル・ダイアグノスティックスの日本法人社長に抜擢されるが、その際にもすぐさま経営者層を対象とする教育プログラムを受講させられ、驚いたという。
「社長就任後、半年間にわたり、グローバルな視点で経営に関するさまざまな課題を解決する能力を身に付けるための教育プログラムを受けた。あらゆる国のグループ企業の経営者層たちとチームを組み、1つの課題に対してリサーチ、グループディスカッション、プレゼンテーションを行うという、MBAコースのような内容だった。われわれのグループには、経営者層になっても、このような教育プログラムを定期的に受講するというトレーニング制度がある」(日色氏)
従業員の教育プログラムが充実しているところは多い。しかし、経営者層に対する教育プログラムが完備されているところは決して多くない。
「一流のスポーツ選手にも、客観的に的確なアドバイスをしてくれるコーチがついているのと同じように、経営者層に対してもコーチは不可欠だと感じている」(日色氏)
「我が信条」という羅針盤が常に経営を正しい方向に導いた
「部下たちには“自分のキャリアに対して目標を持ち、その目標に向かって日々精進するように”などとかっこいいことを言っているが、わたし自身は入社以来、1度もキャリアに対する目標を持ったことがない。そんなわたしが今、曲がりなりにも社長という責任ある仕事を務めているのは、ジョンソン・エンド・ジョンソンに育ててもらったからだと思っている」(日色氏)
現在の肩書きは、日色社長にとって14個目に当たる。入社が1988年なので、1つのポジションを平均2年務めると役割が変わるという計算だ。
入社以来、営業やマーケティング、トレーニングなど次々に異動を命じられ、その仕事の面白みが分かってきたころには、新たな仕事を一から覚えるということの繰り返しだったという日色社長。しかしそれがエキサイティングで、気付けば多面的にものを見る目が養われていたという。
そのころ、日色社長は気付かなかったものの、今振り返ってみれば、ジョンソン・エンド・ジョンソンには、潜在能力があり、与えられたポジションに対してきちんと結果を出し続ける従業員に対しては、より適したポジションが計画的に与えられるという仕組みが整っていたというわけだ。
「わたしは今の社長というポジションを到達点だとは考えていない。あくまでも1つの役割、1つの職種に過ぎない。これだけ多くの職種を経験していると、そもそも部長や社長になるということは、キャリアにおける目標でも到達点でもないということが分かる。重要なのは、与えられた役割に対して、自分が持てる力を十分に発揮し、結果を出すことだ」(日色氏)
社長というポジションに就き、改めてその存在の大きさを痛感したのが、「我が信条」だった。そもそも日色社長が大学卒業後、ジョンソン・エンド・ジョンソンへの入社を決めたのも「我が信条」に感銘を受けたことが大きかった。
当時はバブルの全盛期。どこか浮かれた風潮が日本社会全体を覆う中にあって、医療やヘルスケアという分野は日色社長にとって、地に足の着いた堅実なビジネス分野に見え、自分に合っていると感じた。中でもジョンソン・エンド・ジョンソンを選んだのは、「我が信条」が単なるお飾りの社訓やスローガンではなく、製品開発から環境に配慮した工場設備に至るまで首尾一貫しているのを自分の目で確認することができたからだ。
「我が信条」はジョンソン・エンド・ジョンソングループにとっては、経営の羅針盤であり、社長よりも偉い、絶対的な存在だ。そのため、仮に社長が「我が信条」に少しでも背くことを言ったり行ったりした場合、その社長は一瞬にして全従業員から信頼を失うことになる。逆に、「あなたは真の“我が信条”の推進者だ」と言われることが何よりの誇りであり、最大の賛辞だという。
「企業経営者の多くが、先行きに対する不安やリスクと絶えず戦っていることだろう。わたし自身、そういったものとは無縁とまでは言わない。しかし“我が信条”という絶対的な価値基準があることで、日々自信を持って任務を推進できていると実感している。今後も“我が信条”の真の推進者であり続けたい」(日色社長)
プロフィール:ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社 代表取締役社長 日色保(ひいろ・たもつ)氏
1965年12月11日生まれ。愛知県出身、静岡大学人文学部卒。1988年に入社後、手術用縫合糸の営業、マーケティング、トレーニングを担当。その後、手術用縫合糸、血糖自己測定器を取り扱う部門の事業部長を経て、2005年にオーソ・クリニカル・ダイアグノスティックス株式会社代表取締役社長に就任。2008年には同社のアジアパシフィックの全域も統括。2010年にジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社 メディカル カンパニー 成長戦略担当 副社長に就任、2012年1月より現職。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- おいしい食品でより多くの人を幸せにしたい―オイシックス 高島社長
- 日本の働き方に革新をもたらしたい――アデコ 奥村社長
- 革新を支える「現場力」――コマツ 野路社長
- ネット証券業界を先導し続けてきた革新者――松井証券 松井社長
- 顧客や消費者の本音を徹底的に掘り下げる――イケア・ジャパンの成長を支える若き日本人幹部の比留間氏
- 既存市場でシェア争いはしない――個性あふれる商品でコンビニやスーパーの棚を占める安曇野食品工房の三原社長
- データは分析してこそ価値――日本企業の苦手、情報活用に目を付けたブレインパッドの草野社長
- 業界の常識を疑うことが変革の出発点――ソニー生命の橋本常務
- お客様に導かれ「勝てる構造」を研ぎ澄ます――アスクルを進化させ続ける岩田彰一郎社長
- 異業種同士のジョイントベンチャーで市場の活性化を――ネットや携帯の広告市場を切り開いてきた電通デジタル・ホールディングスの藤田明久氏
- コミュニケーション能力こそ生産性向上の鍵──SMBC日興証券でマネジメントの革新に取り組む軒名彰常務執行役員
- グローバル時代に勝ち残る理想のホテルを作りたい――横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズを「変革」する鈴木朗之社長
- 社会を見すえ、自分たちのミッションを考える――出版関連業界の再編を目指す 大日本印刷森野鉄治常務
- イノベーションはどんな遊びよりおもしろい――クレディセゾンを挑戦し続ける企業に変えた林野宏社長