中川政七商店が考える、日本の工芸が100年先も生き残る道とは?:ポーター賞企業に学ぶ、ライバルに差をつける競争戦略(2/5 ページ)
全国各地の工芸品を扱う雑貨屋「中川政七商店」が人気だ。創業300年の同社がユニークなのは、メーカーとしてだけでなく、小売・流通、そして他の工芸メーカーのコンサルティングにまで事業領域を広げて成功している点である。取り組みを中川淳社長が語った。
小売事業で目指したもの
大薗: 現在掲げている「日本の工芸を元気にする」という経営ビジョンはどのようなきっかけで生まれたのでしょうか?
中川: そもそも中川政七商店にビジョンや社是はありませんでした。私が入社したとき雑貨部門は赤字でしたし、まずは何とか立て直すことが最優先課題でした。
それがある程度改善されてくると、今度は何のために働くのかと悶々と考える時期が来ました。なぜこのような考えに行き着いたのか今改めて考えると、「will」「can」「must」の重なり合いでした。
willは、一消費者として日本の工芸や伝統的な技術などがなくなるのは悲しいということです。canは、麻以外の工芸であっても何とか状況を良くすることができるなと思いました。mustは、毎年のように廃業の挨拶に来る工房の人たちを見ていて、最初は残念だなと思っていただけだったのですが、もしこれがこのまま続いたら、うちもモノ作りができなくなるのではという危機感です。
統計的に見ても、日本の工芸品業界は1990年に生産額5000億円、企業数2万6000社あったのが、2005年には1900億円、1万3000社にまで減少しています。これ以上の目減りを避けるためにも、何とか当社が生き残っていくことがマスト条件だろうと思ったのです。
大薗: 中川政七商店は最初からSPA的な事業を行っていたのでしょうか?
中川: いや、小売をやろうと思ったのは僕の判断ですね。入社する前にも奈良に2店舗と東京に1店舗ありましたが、これはショールーム兼営業拠点でした。父親もメインの商売はあくまでも卸だと考えていました。
ただし、店舗のブランドを認知しているのはごく一部で、多くの消費者は「日本的なもの」を扱う雑貨屋という程度でした。これでは駄目だということで、自分たちで小売を始めて強いブランドを作っていかなければならないという考えに至ったのです。短期的に儲かる、儲からないではなく、これをしないと生き残っていけないと思いました。
大薗: ブランドをきちんと立てるためには自ら小売をするしかないと決めたわけですが、具体的にそうすることで何をコントロールしたかったのですか?
中川: 商品だけで伝えられることは限定的です。販売スタッフ自らが顧客に対して商品の製造背景や企画意図までも伝えるべきと思いました。そのためには自社の人間が直接介在することが大切で、よそさまに販売を任せていたらコントロールは効かないと考えたわけです。
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