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【第11回】同族経営を侮るなかれミドルが経営を変える(1/2 ページ)

日本では不祥事を起こした企業の中でも、特に同族企業がやり玉に挙げられる。最近では不二家、ミートホープ、船場吉兆などが記憶に新しい。果たして、同族経営は本当に“悪”といえるのだろうか。

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 ファミリービジネス、ファミリー企業、同族経営……。このように称される会社や経営手法に対して皆さんはどのようなイメージを持つだろうか?

 法律上、会社企業とはなっているが、実態は「小ぢんまりと商売をしている」個人事業主の域を超えない企業体をイメージされるかもしれない。実際に数だけを見れば、日本の会社の相当数はこれに該当する。小ぢんまりという言葉には、売上高や従業員規模が単に小さいというだけではなく、「零細」というネガティブなニュアンスが含まれていることが多い。

 同様に、その経営手法として「オーナー一族が好き勝手な経営をし、社員がそれに翻弄(ほんろう)されているイメージ」*1、「法令順守(コンプライアンス)に難あり」「問題企業は多く、優良企業は少ない」などとネガティブなイメージを持つ読者は多いだろう。さらには、「時代遅れ」「旧態依然」「世襲」などをイメージする読者もいるはずだ。

 以前、朝日新聞(2007年2月5日付朝刊)には、「同族経営 甘さ脈々」という大きな見出しで同族経営をやり玉に挙げる特集記事が掲載されていた。「だれもがうらやむ大企業に成長しながら、不祥事につまずいたり、経営戦略が大失敗したりして失速する同族会社が目立っています」と記事は始まる。「最近の主な同族企業の不祥事や経営不安」の事例として、不二家、パロマ工業、三洋電機、ダイエー、日本ハムが名指しされていた。それぞれの事案については、説明するまでもなかろう。

 創業家に代表される一族が大株主かつ(あるいは)経営トップにいる会社での不祥事や経営不振について、その責任を同族経営に求める同様の記事には事欠かない。そうした記事を目にしたときの世間一般の反応は、「またか」というものであるかと思う。

同族企業の存在感は大きい

 連載の第8回で少し触れたが、実は経営学研究の世界では、こうしたマイナスのイメージが付きまとっているファミリービジネスや同族経営に関する研究が盛んである。その大きな理由は、発展途上にある国のみならず、欧米あるいは日本といった先進各国においても、上場企業をはじめ相応の規模の会社には、同族企業がかなりの数存在するからだ。米国では既に1930年代、そうした会社に大株主は存在せず、大株主ではない専門経営者が企業経営のかじ取りをしている姿が一般的となっていた。経営学の教科書でおなじみの「所有と支配の分離」の議論である*2

 しかし、いくつもの実証分析の結果が同族企業の存在は決して小さくないことを示している。前回の連載の図1が示すように、大まかに言えば日本の上場企業の2割超は同族が大株主として存在している*3。客観的に眺めてみてもその存在感は無視できないものである。トヨタ自動車では、豊田家出身者のトップ就任の可能性がしばしば紙面をにぎわせている。スズキでも、鈴木修会長の娘婿(当時、同社専務役員)の死去は経済紙(誌)で大きく報道された。キヤノンの会長は経団連会長としてもよく知られる御手洗冨士夫氏だが、同社の創業者は叔父の御手洗毅氏である。それぞれ大株主の上位に入るほどではないが、ほかの役員に比べて持株数は圧倒的に多い。


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