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「スポーツドクターの育成が課題」――国立スポーツ科学センター・小松氏エグゼクティブ会員の横顔(1/2 ページ)

オリンピックやWBCなどさまざまなスポーツ競技にチーム医師として帯同し、世界中を駆け回るスポーツドクターに、トップ選手とのコミュニケーションや後進の人材育成などを聞いた。

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 第1回は、見事連覇を達成したワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表チームにもスポーツドクターとして帯同した、国立スポーツ科学センター スポーツ医学研究部 副主任研究員の小松裕氏に話を聞いた。


国立スポーツ科学センターの小松裕ドクター。取材の数日前まで中国で行われた女子レスリングのワールドカップに帯同していた
国立スポーツ科学センターの小松裕ドクター。取材の数日前まで中国で行われた女子レスリングのワールドカップに帯同していた

転機となった広島アジア大会

――これまでの仕事の歩みを教えてください。

小松 地元・長野の信州大学医学部を卒業し、日本赤十字社医療センターで2年間研修医として過ごした後、東京大学の医学部附属病院で内科医として働いていました。ちょうど並行してスポーツとのかかわり合いを持つようになりました。研修医時代、日赤医療センターにアイスホッケーやバスケットボールなどのチームドクターがいて、ある日その先生が、米国のバレーボール選手だったフローラ・ハイマンの死因であるマルファン症候群の論文をまとめて学会で発表するよう誘ってくれました。それがスポーツ医学の世界に足を踏み入るきっかけとなりました。

 転機が訪れたのは1994年でした。バルセロナ五輪の野球チームに帯同した東芝病院スポーツ整形外科の増島篤先生に声を掛けてもらい、広島で開かれたアジア大会の野球日本代表に初めてチームドクターとして参加することになりました。チームドクターといえば整形外科医が主だと思うかもしれませんが、特に海外遠征では選手が環境の変化や食事などによって体調を崩すことが多いため内科医が必要なのです。当時はまだ野球においてもチームドクターのあり方は手探り状態だったので、バルセロナ五輪の際に増島先生は内科的な問題で大変苦労されました。その体験を踏まえ、わたしに白羽の矢が立ったのです。前後して全日本アマチュア野球連盟の医科学委員会に入るなどして、野球に深くかかわるようになりました。

 その後、アトランタ五輪の野球日本代表、シドニー五輪およびアテネ五輪では女子ソフトボール日本代表のチームドクターとして海外へ帯同しました。そうした仕事を通じて、国民に感動を与えるスポーツの力、素晴らしさを改めて実感しました。

 それまでは、内科医とスポーツドクターの2足のわらじだったのですが、スポーツの役に立ちたいという気持ちが日増しに強くなり、2005年に国立スポーツ科学センターにやって来たわけです。

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