南アフリカで痛感した「自己責任」の重要性:「世界一蹴の旅」からすべて教わった(2/3 ページ)
ブラジル代表の優勝で幕を閉じたFIFAコンフェデ杯。開催地となった南アフリカでは、来年のW杯本番に向けてスタジアム建設などが急ピッチで進む一方で、治安の悪さを懸念する声も聞こえる。現地の今をレポートする。
過剰反応な日本人
コンフェデ杯の開催期間中、各国からやって来た多くのサポーターを見かけた。ブラジル対イタリアの試合を観戦したときは、僕らの前には子連れのブラジル人家族が熱い声援を送っていた。また大会期間中には、時を同じくして英国ラグビーのドリームチームが南アフリカ遠征中だったため、そのサポーターも多々見かけた。英国サポーターに聞いたところ、1万5000人の英国人が来ているそうだ。英国とアイルランドの連合チーム「Lions」の赤いジャージーを着たサポーターを街で見かけない日はない。
日本では“世界最恐”の都市と言われているヨハネスブルグおよび南アフリカの各地では、いたって普通に現地人たちが暮らしており、スポーツの国際大会が円滑に開催され、盛り上がりを見せているのである。
ここで僕の頭をよぎったのは、新型インフルエンザに関する日本での騒動だ。どうも日本人というのは自分たちがよく分からない脅威があるときに、必要以上に騒ぎ立て警戒し過ぎるきらいがある。新型ウイルスの発生源と言われるメキシコや、2万人以上の感染者数を出している隣国の米国でも、マスクをしている人はほぼ皆無である。
マスクをすれば感染予防になるのは間違いない。「水際対策」として世界各地の空港で検疫官たちがマスクをしているのがそれを証明している。ただ、日常の生活においてどれほどマスクをする必要があるのかは甚だ疑問である。感染率をもう少し冷静に見極めてもいいだろう。この騒動に対する必要以上な警戒による損失を考えてもいいのではないか。
そこには、日本特有の自己責任のなさが見え隠れする。
「万が一、何かがあったら誰が責任を取るのか」
メディアも然り、政府、自治体、学校などの各種組織も然り。それは一般の企業にも当てはまる。対して、これが個人という立場になった場合、つまり、一般のビジネスマン、ひいては日本という社会に属するほとんどの人間の側に立つと、
「万が一、何かがあったら誰が責任を取ってくれるのか」
となる。
個人はもっと自分で考え、自分の行動に責任を持つべきである。
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