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非を認めない経営者という人種生き残れない経営(2/2 ページ)

「俺はここまで上り詰めたんだ!」という実績によって自信過剰になり、周囲の助言に耳を傾けない経営トップが何と多いことか。企業にとっては大迷惑である。

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膨大な退職金を抱え、戦犯扱いに

 中堅の日用品メーカーD社のE社長は、戦略的思考と行動を身上とし、勤勉家で読書をよくし、己の信念を曲げずに積極果敢に事に当たることを心掛け、部下にもそれを説く人物である。しかし、Eは本質的に堅実で、石橋をたたいてなお渡ろうとしない性格だった。結果的に、それが消極経営につながった。

 Eの社長就任前に開発されてヒットした衛生用品があったが、徐々に人気も落ち着き、その後D社の売り上げは下降した。にもかかわらず、新規事業への投資をいっさい行わなかったEは、やむなく「売り上げは少ないが高収益体質の企業」を狙う方針をとった。しかし、売り上げが縮小していく一方で、固定費の削減が間に合わず、損益分岐点は悪化し、ついにD社は赤字体質に転落した。

 本来ならば責任をとるべきはずなのに、億単位の退職金を手にして退任したEは、社内でしばらくの間「戦犯」と呼ばれた。戦略思考、積極果敢という号令をかけたEは、それとは裏腹に新規事業に対する投資には臆病だったのだ。ところが、小規模高収益企業に失敗したことをいまだに認識せず、相変わらず戦略思考の重要性を後輩に説いているという。

 ドラッカーが説く「経営者の第一の務め」は、「最善の経済的成果を引き出すため」に「資源の配分に関する意思決定」をすることである(「経営者の真の仕事」ダイヤモンド社)ということをEは怠ったのだ。さらにドラッカーは、「在任中の業績が優れ」ているのに、「退任直後に下り坂になる」のは、「トップマネジメントとして無責任の最たるもの」、「あげていた成果は、資本の食いつぶしだったにすぎ」ないと説く(「マネジメント」ダイヤモンド社)。

報われなかった名経営者

 最後に、示唆に富んだ例を紹介しよう。大手機械部品メーカーのF事業所長は、厳しい管理で有名だった。事業所長と言えば、本社の出入りを多くして本社の覚えをめでたくしたいものだが、Fは本社にいっさい目をくれず、時間さえあれば製造や営業の現場をまわって、厳しい指示を飛ばし、現場密着の経営を心掛けた。高収益の事業所だったが、事業所独立採算制だったので、Fは新規事業の開拓に徹底して投資し、本社への報告収益を抑えた。結果、事業の柱となる新製品が幾つか育った。

 人材教育にも心を砕いた。事業所のトップに就任してからは、部下との個人的付き合いをいっさい止めた。周囲から特定の個人を「えこひいき」していると誤解されることを避けるためだ。教育体系整備やOJT(On-the-Job Training)を徹底し、教育の重要性を企業文化として根付かせた。

 明日の事業を育てることと人材育成に意を注いだ経営者Fは、残念ながら本社昇進を果たせなかった。しかし、彼が優れた経営者だったことは、彼を知る関係者の間で語り継がれている。

 以上のような他山の石は、決して特異な例ではない。一事が万事、経営者の猛省を促す。


増岡直二郎氏による辛口連載「生き残れない経営」のバックナンバーはこちら




著者プロフィール

増岡直二郎(ますおか なおじろう)

日立製作所、八木アンテナ、八木システムエンジニアリングを経て現在、「nao IT研究所」代表。その間経営、事業企画、製造、情報システム、営業統括、保守などの部門を経験し、IT導入にも直接かかわってきた。執筆・講演・大学非常勤講師・企業指導などで活躍中。著書に「IT導入は企業を危うくする」(洋泉社)、「迫りくる受難時代を勝ち抜くSEの条件」(洋泉社)。



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