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【第22話】動き出す改革内山悟志の「IT人材育成物語」(2/2 ページ)

川口の指導による4人の勉強会の成果発表を受けて、情報システム部長の秦野は、彼らの提言を具体化させるための指示を矢継ぎ早に出していった。情報システム部の範囲にとどまらない改革が動き始めた。

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改革の輪を広げる

 一方、川口がこれまで行っていた勉強会は、人事部長の渡辺の申し出により、全社的な若手育成研修と位置づけて行うこととなった。この研修は、人事部が主催する人事研修プログラムの一環として定期研修に組み込まれることになった。

 川口は、自分達で大きなテーマを掲げて議論し、結論を導き出すという本来の主旨はそのまま生かしつつ、社内のさまざまな部門から参加するメンバーのために再度実施内容を練り直し、研修の構成案を作成した。

 川口が研修内容の検討において最も考慮したのは、受講する若手メンバーにいかに部門横断的な意識を持たせるかという点である。伝統的な製造業であるあかり食品は、現場が強い傾向にあり、縦割り組織の弊害が出始めていると感じていたからである。渡辺と何回か研修内容について打ち合わせを行い、研修内容を固めていったが、渡辺もこの点については、同じ考えを持っていた。この勉強会をそうした企業文化や社員の意識を変革するきっかけにしたいと考えていた。そこで、渡辺の発案でこの研修を「改革塾」と名づけることにした。「改革塾」から巣立った若手が、会社の改革を推進するけん引役となってくれることを願っての命名であった。

 第1期「改革塾」は、営業部門、製造部門、本社部門などから10人が参加することとなった。

 それから数カ月が経過し、4人がリーダーを務めるプロジェクトと、川口が講師を務める「改革塾」が、会社の雰囲気を次第に変えていった。誰もが受け身ではなく、自ら考えて発言し行動する、そして、狭い部門の範囲ではなく、組織横断的な視野で物事を考える姿勢が、社員の間に徐々に伝播していった。


著者プロフィール

内山悟志(うちやま さとし)

株式会社アイ・ティ・アール(ITR) 代表取締役/プリンシパル・アナリスト

大手外資系企業の情報システム部門、データクエスト・ジャパン株式会社のシニア・アナリストを経て、1994年、情報技術研究所(現ITR)を設立し代表取締役に就任。ガートナーグループ・ジャパン・リサーチ・センター代表を兼務する。現在は、IT戦略、IT投資、IT組織運営などの分野を専門とするアナリストとして活動。近著は「名前だけのITコンサルなんていらない」(翔泳社)、「日本版SOX法 IT統制実践法」(SRC)、そのほか寄稿記事、講演など多数。



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