アトランタオリンピック野球の同窓会:小松裕の「スポーツドクター奮闘記」(2/2 ページ)
オールアマチュア選手で臨む最後のオリンピックとなったアトランタ大会。毎年開かれる同窓会に出席してきました。15年前のことなのに、当時の情景が鮮明によみがえってきました。
大監督をも迷わす大舞台
同窓会で改めて回想してみると、実にさまざまなことがありました。川島勝司監督は「俺はあの時、小松さんに“監督しっかりしてください”って怒られたんだよ」と今でも笑いながら話します。
初戦を控えた前日、オリンピックの開会式に出るか出ないかで監督は悩んでいました。選手たちはオリンピックの晴れ舞台である開会式で入場行進がしたかったのですが、開会式に出ると選手村に戻るのが夜遅くなるため、コンディションを考えて監督は選手を開会式に出させたくなかったのです。一方で、開会式を行進できなかったことによるメンタル面を考えると……。いつもはスパッと決断する監督なのに、あの時は最後まで決められずにいました。オリンピックの舞台は、大監督をも迷わせてしまうのです。
「先生、医学的にはどちらが良いと思う?」と聞かれて、「医学的も何もない。そんなことは監督がビシッと決めてください」と答えました。今思えば大胆な発言ですが、それなりの信頼関係があったからこそ言えた言葉でした。結局、選手たちは開会式に出ることになりましたが、監督は一人、選手村のテレビでその様子を見ていました。
「捨てる」という判断
決勝戦の前にはこんなこともありました。松中、井口の部屋に私がいたら、突然部屋に井尻陽久コーチが入ってきて、「おまえら、本屋に行って1冊の本を選ぶとするだろう。その時、本屋にあるそのほか何万冊の本は、迷わず捨てているということだ」とだけ言って立ち去りました。
私には何のことか皆目見当がつきませんでしたが、その答えは、試合で松中が同点満塁ホームランを打ったときに分かりました。ハイタッチでベンチに迎えられた松中が私に「迷いなくスライダーと決めていました」と言ったのです。すると、井尻コーチが私の横に来て、関西弁で「ほら、効果あったやろう」と返しました。
なるほど、そういうことだったのか。大舞台では迷ったら駄目で、決めたらそれ以外のものは捨てろということを試合前に言いに来たのでした。選手、指導者として決勝の舞台を知り尽くした上での言葉だったのです。一流の選手たちや指導者たちと一緒にいるだけでとても勉強になります。
15年前を思い出しながら、これからの我々の役割などを熱く語り、熱海の夜は更けていったのでした。
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著者プロフィール
小松裕(こまつ ゆたか)
国立スポーツ科学センター医学研究部 副主任研究員、医学博士
1961年長野県生まれ。1986年に信州大学医学部卒業後、日本赤十字社医療センター内科研修医、東京大学第二内科医員、東京大学消化器内科 文部科学教官助手などを経て、2005年から現職。専門分野はスポーツ医学、アンチ・ドーピング、スポーツ行政。
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オリンピックやWBCなどさまざまなスポーツ競技にチーム医師として帯同し、世界中を駆け回るスポーツドクターに、トップ選手とのコミュニケーションや後進の人材育成などを聞いた。