マニュアル活用のコツは歴史が証明している:マニュアルから企業理念が見える(2/2 ページ)
人や状況が変わっても現状を維持するためには標準化が欠かせない。過去の歴史を振り返った時、勝敗の分かれ目が標準化にあった。
勝負の決め手は標準化
ハンニバルは数多くの戦いに勝った。そして、ロ−マを囲んだ。このときロ−マの将軍スピキオは、恐れずシシリーを攻め、これに怯えたカルタゴの首脳はハンニバルに帰還命令をだした。ハンニバルはやむを得ず兵を帰した。この戦いでカルタゴは軍の中心的部分を数多く失った。しかし、カルタゴにはこれに代わる軍人はいなかつた。カルタゴには補充という観念がなかった。プロは一日では育たない。カルタゴはこれ以降一方的にロ−マに破れ、ポエニ戦争は終わった。変わってロ−マは地中海の覇者となり、貿易を独占し、あの大帝国の経済的地盤を確固としたものにした。
これに対して、ロ−マ軍は市民の集合である。彼らは市民の義務として、兵役を課せられて軍人になる。そして、兵士、隊長、将軍になる。当然常に人が代わるのが当たり前である。このため、ロ−マ軍はいつど誰が、どのようなポジションにきても、重要なことはきちんと伝えられるようにしておかなければならなかった。そのため、マニュアルが作られた。将軍、隊長、兵士それぞれの立場ごとにマニュアルが作られ、交代時に必ずマニュアルに付け加えたことの有無、改定必要事項が軍の枢要部署に報告されることになっていた。
どのような激しい戦いを行い、犠牲者がでても、ロ−マ軍は常に交代するものがいた。それによる損耗は補充された。これがカルタゴ軍との最大の差、違いである。一人ひとりはカルタゴ軍の方が強かったかもしれない。しかし、それは一回限りである。カルタゴ軍には補充がきかない。
戦いが複雑化し、回数が増えれば必ず犠牲者がでる。それをどう補強するかが勝利の鍵である。補強するためのシステムが整備されているものが必ず勝つ。ローマ人はこのことを熟知していた。
マニュアルはラテン語で「手が動く」という意味である。具体的に現場でどう行動するかを示したものである。世界国家を作ったロ−マ人は行動が全てであること、行動が戦争に勝つか負けるかを決定するのは、一定の標準的機能の遂行であることを知っていた。
企業戦略上の視点からみたコンプライアンス維持の重要性とか、企業の存続をかけた事業ミックスといった経営行動とそれが実行に移されたときの現場の行動の2つを結びつけるのがマニュアルである。
現代の国際経済の苛烈な競争を考えるとき、それらはポエニ戦争をはるかに超える厳しさであろう。だから、マニュアルは、消耗の激しい現代の企業経営に必要なのである。
例えば、企業経営における人事の交代は、交代理由を具体化した交代後の行動指示が付加されていなければならない。管理は、行動重視でなければならず、行動の裏付けのない具体性を欠く指示は無意味である
マニュアルの前提は明示の尊重である
日本の組織体における意思伝達は、最近とみに変わってきた。特に、下部機構において顕著であるといわれている。指示待ち社員が増え、部下にいろはの「い」の字から教えないとなにもできないとはよく聞く不平である。仕事の背景も説明されず、その仕事の目的も方向性も教えられていない社員にどう行動すればよいのか。理解しろ、察しろというのは無理な話である。
こういう職場にマニュアルはない。仕事は本人のやる気次第という考えが主流をなしている。理由は簡単である。自分もそうして覚えてきたからである。先輩は「俺がどうやっているかよく見ろ」などといっている。そして、「情報は、自分が効率的に集め、利用するものだ」などといいながら、パソコンを叩いている。
自立とは何か。人を放りだして自然に育つのを待つことではない。人は人間の連帯と指導の中でしか育たないことを忘れてはならない。
人が人を教育するためには、教えるものの理念的立場が不動であることが必要である。マニュアルは教えるものの基本を明示するツ−ルである。明示されたものにはこちらも反論できる。指示内容の明示化は全てのマニュアルの基礎である。相手を自分と平等の権利を有する人間であるという意識がなければ、指示の明示化はできない。必ず指示は黙示化する。「俺の意図を察しろ」ということになる。
この場合の業務管理は責任不在である。口で説明することは、誰にもできる。口で言ったことは証拠にならない。話すことはこの可変性があるから有効なのである。明示の手段というのは、固定性があり、反復性がなくてはならない。マニュアルに は、この2つがある。
この特性を認識して活用し、その結果生ずる矛盾にどう対応するかがマニュアルを使う管理である。
著者プロフィール
勝畑 良(かつはた まこと)
株式会社ディー・オー・エム・フロンティア 代表取締役
1936年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、1964年にキャタピラー三菱(株)に入社。勤労部、経営企画部、資金部を経て、1986年、オフィス・マネジメント事業部長としてドキュメンテーションの制作、業務マニュアルの作成、語学教材の発行などさまざまな新規事業に取り組み、1992年4月、業務マニュアルの制作会社である(株)ディー・オー・エム(現在:株式会社ディー・オー・エム・フロンティア)を設立し、代表取締役に就任。「いま、なぜマニュアル革命なのか?」(『企業診断連載』)で平成2年度日本規格標準化文献賞<最優秀賞>受賞など論文多数。
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