日本のがん医療の現状と課題:知っておきたい医療のこと(2/2 ページ)
日本では社会の中核となって活躍している世代で、がん死の割合が大きくなっている。治療はもちろんだが予防も重要。余生をまっとうするために、今できることとは。
がん医療においても早期治療の重要性は強く説かれているものの、戦略的な予防は全く実施されていません。そして、各種がん検診の受診率は、先進諸国の中で日本は最低レベルです。例えば、子宮頸がんや乳がんはがん検診の中でも有効なものと評価されており、それらの受診率が先進諸国は軒並み80%前後なのに対して日本は40%程度です。隣国の韓国でも70%以上の受診率であり、日本だけが極端に低い受診率になっています。
がんは、短期間で発生するものではありません。正常な細胞が潜在的にがん化の方向に進み発病するまでは10〜20年くらいの期間を要すると言われています。社会で活躍すべき年代の人たちのがん死を減らすには、若い世代からがんの予防意識をもって生活習慣を整えることと、有効ながん検診を適切な頻度で受けることに本気で取り組むべきでしょう。
そして、日本のがん医療の中で最も大きな課題のひとつと私が感じているのは、進行がんや再発がんに対する治療環境が成熟していないことです。定期的にがん検診を受けているにもかかわらず不幸にも進行がんで発見される場合があります。また、がんに対する根治的治療が実施された後に再発することも多々あります。
これらの多くは化学療法(抗がん剤治療)の対象になるのですが、その場合、医療機関側が重視するのは治癒率ではなく生存率です。確かに化学療法で用いられる薬剤は年々進化していますが、再発がんが化学療法で完全に根治した例を私は見たことがありません。患者さん側は抗がん剤治療の副作用に耐えてでも何とか根治することを願っているのに対して、治療の限界を知っている医療機関側は根治ではなく延命を目指します。そして、治療中の副作用に伴う患者さんの生活の質の低下に対する十分な配慮が医療現場では行き届いていない印象があります。
根治できる標準治療が存在しない高度な進行がんや再発がんに対する治療について、その評価手法を日本の医療界は見直すべだと思います。すなわち、見た目の生存期間に目を向けるだけでは不十分で、生活の質(QOL)を考慮したQALY(クオリー: Quality -Adjusted Life Year)という指標を重視すべきです。
これは、英国で提唱されたがん治療に対する新しい評価法で、生存期間にQOLを表す効用値で重みづけしたものです。効用値は完全な健康を1、死亡を0として、種々の健康状態をその間の値で計測します。例えばある治療を受けて、健康な時と比べて80%くらいの健康水準を5年間維持できたと仮定すると、効用値は0.8で、QALYは、5(年)×0.8 = 4 となります。
あるがん治療で5年生存したとしても、その5年間は抗がん剤の副作用で著しく健康水準が低下し、効用値が0.3だとすると、QALYは5×0.3=1.5、一方、抗がん剤治療を選択せずに寿命は2年に縮んだけれども、生活の質は保持されて効用値が0.8だとすると、QALYは2×0.8=1.6になり、後者の方が治療成績は良いと評価されます。
進行がんや再発がんを治癒させる確実な手法が確立されれば(それは全てのがんを治せることを意味しますが)問題は無いですが、現時点ではそれは極めて難しいわけですから、命の質と量とを同時に評価するQALYを用いて、生存期間「命の量」だけではなく生活の質と健康の度合い「命の質」を重視して治療方法やその効果を検証すべきです。
日本のがん医療において改善すべき課題は、社会の中核世代のがん死亡率を下げることと、進行再発がんに対する尊厳ある治療を広めること、の2つに集約されると私は考えています。これら課題への対策について次号で述べたいと思います。
著者プロフィール:北青山Dクリニック 院長 阿保 義久
1965年、青森県生まれ。東京大学医学部卒業後、東京大学医学部付属病院第一外科勤務。その後、虎の門病院で麻酔科として200例以上のメジャー手術の麻酔を担当。94年より三楽病院で胃ガン、大腸ガン、乳ガン、腹部大動脈瘤など、消化器・血管外科医として必要な手術の全てを豊富に経験した。97年より東京大学医学部第一外科(腫瘍外科・血管外科)に戻り、大学病院の臨床・研究スタッフとして後輩達を指導。
2000年に北青山Dクリニックを設立。下肢静脈瘤の日帰り手術他、外科医としてのスキルを生かした質の高い医療サービスの提供に励んでいる。
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